大人のお伽噺「不滅の物語」

ドラマ

人から本当にあった怖い話を聞いて最後に
これってあなたから聞いた話じゃ なかったけ?
って言われ
本当に本当の話なのか?と思う
知り合いの知り合いの話。

[原題] The Immortal Story
[製作年]1968[製作国]フランス
[監督・脚本]オーソン・ウェルズ
[脚本]ルイーズ・ドヴィルモラン
[原作]イサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)
   「不滅の物語」
[衣装]ピエール・カルダン
[音楽]エリック・サティ
[上映時間]60

主な登場人物

ヴィルジニ・デュロク(ジャンヌ・モロー):
クレイのかつてのビジネスパートナーだったデュロクの娘。現在はクレイの若きパートナーのシンプソンの愛人。

ミスター・クレイ(オーソン・ウェルズ):
冷徹な老いた豪商。予言めいた話が嫌い。

その他の登場人物

ポール(ノーマン・アシュレイ):若い船員
エリシャマ・レビンスキー(ロジャー・コジオ):クレイの帳簿係
商人(フェルナンド・レイ)

あらすじ

19世紀末ごろ、ポルトガル領マカオの島に、ミスター・クレイという裕福な大商人が住んでいた。冷酷な人物として知られており、元の相棒であったデュクロを破産させ家族を路頭に迷わせたと言われていた。デュロクは自ら命を絶ち、娘は商船の船長と逃げたとされ、屋敷はクレイに奪われた。現在のクレイはその広大な屋敷に一人で食事をとり、友人も必要としていなかった。しかし70歳になり痛風にかかり、歩くのも不自由になっていた。クレイの会計係レビンスキーに帳簿を読ませ暇を潰す中、クレイは人間の事実が物語なのだと話始めた。クレイがこの島にやって来る船の中で、船乗りが仲間に語った体験を話た。これが物語だと語るクレイ。その物語は、船乗りが歩いているとある老紳士が話しかけてきた。船乗りに5ギニー稼がないか?というのだ。あっさり了解した船乗りは老紳士の邸宅で食事に招かれ、老紳士はもう先がない自分は遺産を相続する者は信用できない、3年前若い女と結婚したが子供ができないという。そこで、レビンスキーが話の腰を折り、その話自分も知ってます、その後老人が準備した寝室には妻が寝ているという話ですと言う。どこでもある話で事実ではありませんと。不快に感じたクレイはレビンスキーに、事実でないなら事実にするまでだと述べる。船乗りは自分が探すが若い女はお前が探せと命じられる。レビンスキーは女役を、現在のクレイのパートナーであるシンプソンの愛人ヴィルジニに決めた。ヴィルジニにくだんの物語を語ると、知っていると答えそんな芝居に付き合えないと言う。最後まで演じきれば100ギニー払うと言うレビンスキー。お芝居と実際の出来事は違うと話すヴィルジニに、指定の日にクレイの屋敷に来て欲しいと話すとヴィルジニはあの家に来いと?と怒りを露わにし、レビンスキーを叩いて去って行った。ヴィルジニこそデュクロの娘だったのだ。ヴィルジニは、クレイの家を眺めながら、あの家は裕福で可憐だった頃の思い出の場所。いつかまた入る日を夢見ていたと話す。レビンスキーは夢が叶いますよと語りかけるのだった。

どんな映画?

デンマークの女流小説家カレン・ブリクセンの短編集の一編をオーソン・ウェルズが監督、主演で映画化。オーソン・ウェルズ監督作では最短の長編映画となっております。

マカオで老境の域に達した富豪
ミスター・クレイ
本当にやな奴でかつての相棒でさえ
自殺に追い込んでいます。
そんな偏屈孤独老人が
帳簿係のレビンスキーに
自分がマカオに来る船の中で
聞いたある物語を語ります。

富豪の老人が
自分の子孫を残すため若い水夫に5ギニーの金貨を渡し
自分の若い妻と寝て欲しいと頼む

すかさずレビンスキーも

その話聞いたことあります!

言わば船乗りの間で語り継がれる
都市伝説的な物語で
あったらいいよねーみたいなお話。

本当の話でなくてはつまらんと
暇人で金は大量にあるクレイは
この物語を現実のものにせよと
レビンスキーに女役を探せと指示します。

レビンスキーには思い当たる女性がいました。
彼女はヴィルジニ。
かつてクレイが自殺に追い込んだ男の娘でした。

クレイの屋敷の寝室でロウソクを吹き消すヴィルジニ

デンマークの女流作家カレン・ブリクセンは、男名のイサク・ディーネセン名やアイザック・ディーネセン名で小説を発表し、1987年にガブリエル・アクセル監督のデンマーク映画「バベットの晩餐会」の原作者としても知られています。「不滅の物語」は7本の短編小説からなる原作の一編を原作としています。カレン・ブリクセンの小説のファンだというウェルズが、フランスの国営テレビによってジャンヌ・モローを指定されて製作。当初はテレビドラマとして放映され後に劇場公開されたものです。 60分と言う監督作の中で最短の作品となっておりますが、非常に映像が美しく、余韻を残す一作となっております。 舞台はマカオですが、撮影はマドリッドにあるオーソン・ウェルズの自宅とその近郊で撮影されています。

ヴェルジニを演じたジャンヌ・モロー。この映画の同年に出演していたフランソワ・トリュフォー監督の「黒衣の花嫁」では、ちょっと老けてきたジャンヌ・モローを残念に思ったのですが、この映画では率直な感想は

歳取ってるからイイ!

でした。まだ美しさを残しながらも明らかに若くないジャンヌ・モローが、物語の中で若い女役を演じる。どう見ても身を持ち崩したかつての令嬢。過去の因縁も相待ってその姿の儚さと涙が本当に美しかった。

60分という短い物語ながら、心に突き刺さる物語。
物語が現実になって欲しいと欲っして苦しむが、実際に物語が現実になるともっと苦しくなる。
それが決してなくならない不滅の物語。

スタッフ・キャスト

監督はアメリカ合衆国が生んだ天才オーソン・ウェルズ。映画監督だけではなく自らの映画に主演、出演し、俳優としてはその巨体と強面の風貌を活かし存在感たっぷりの演技を披露されています。若きオーソン・ウェルズは劇団「マーキュリー劇場」を立ち上げ、シェークスピア劇を公演し、ラジオドラマなどにも出演。その後1941年に撮影当時若干25歳のオーソン・ウェルズは、ハリウッドで普及の名作「市民ケーン」を監督。メディア王の盛衰を自ら演じ、その後の映画に強い影響を与えました。続いて第2作目となるドラマ「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942年)を監督。出演自体はしませんでしたがナレーションを担当。こちらの映画は映画会社によってズタボロにカットされ正当な評価を得られない作品となってしまいました。翌年主演のジョセフ・コットンと共に脚本を担当し。監督・出演したフィルム・ノワール「恐怖への旅」(1943年)を製作。同年、ロバート・スティーヴンソン監督、ジョーン・フォンテイン主演の「ジェーン・エア」で、ロチェスターを演じています。1946年にエドワード・G・ロビンソンがナチハンターとして主演した「オーソン・ウェルズのストレンジャー」を監督、出演。同年にクローデット・コルベールと共演した「離愁」(1946年)に、戦争で失踪した夫として出演しています。1947年に現在ではカルト的人気があるフィルム・ノワール「上海から来た女」を監督・主演。この映画では当時の妻であったリタ・ヘイワースがファム・ファタールを演じています。翌年の1948年にシェークスピアによる戯曲「マクベス」を自ら主演し映画化しており、独自の解釈に基づいた脚本も担当しています。さらに翌年には、イギリスでキャロル・リード監督の傑作フィルム・ノワール「第三の男」(1949年)に悪役ハリー・ライムを演じています。同年にオーソン・ウェルズがカリオストロ伯爵を演じた「黒魔術」(1949年)に出演。1951年に再び独自の解釈を交えたシェークスピアの戯曲「オセロ」を監督・主演。1952年にハーバート・ウィルコックス監督の「トレント最後の事件」に出演。1955年にフランス・スペイン・スイス製作で「秘められた過去」(「アーカディン/秘密調査報告書」)を監督、主演、脚本、製作を一手に担当。残念ながら日本では劇場未公開でした。1958年には再びハリウッドでフィルム・ノワール「黒い罠」を監督、出演、脚本を担当。翌年にリチャード・フライシャー監督がレオポルドとロープの事件を題材にした「強迫/ロープ殺人事件」(1959年)に出演しています。徐々に、作家性が強い作品作りと、内容の重厚さから中々一般的な指示を得られず、興行的に振るわなかった為、思うような映画が製作ができなくなっていったそうです。その為映画製作の資金を集めるために映画出演していたと言われています。1963年にカフカの「審判」を映画化。この映画ではジャンヌ・モローを登場させています。1965年に「オーソン・ウェルズのフォルスタッフ」を監督、出演。1967年にジャンヌ・モローが主演しトニー・リチャードソン監督の「ジブラルタルの追想」に出演。1973年に虚実を混ぜたドキュメンタリー風映画「オーソン・ウェルズのフェイク」に監督、主演しています。

若い水夫を演じたノーマン・アシュレイはイギリス出身の俳優。このオーソン・ウェルズ監督の「不滅の物語」で映画デビューしています。また、1971年にはリチャード・フライシャー監督、ミア・ファロー主演の「見えない恐怖」にミア・ファローの恋人役で出演しています。主にテレビドラマの出演で活躍されています。

まとめ

物語は物語られず地獄行き

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