ジョン・ドゥを探して「群集」

ドラマ

「ジョン・ドゥ」の女性版は
「ジェーン・ドゥ」になります。

[原題]Meet John Doe
[製作年]1941[製作国]アメリカ
[日本公開]1951
[監督・製作]フランク・キャプラ
[脚本]ロバート・リスキン
[原作]リチャード・コンネル
[編集]ダニエル・マンデル
[音楽]ディミトリ・ティオムキン
[音楽監督]レオ・F・フォーブステイン
[上映時間]124

主な登場人物

ジョン・ドゥ(ゲーリー・クーパー):
本名ジョン・ウィロビー。元マイナー・リーグの投手。怪我で野球が出来なくなり放浪中、ハーモニカが縁で大佐と友人になる。

アン・ミッチェル(バーバラ・スタンウィック):
新聞社の女性記者。クビになった腹いせに「ジョン・ドゥ」が書いたという手紙を捏造する。

その他の登場人物

大佐(ウォルター・ブレナン):ジョンの友人
D・B・ノートン(エドワード・アーノルド):新聞社の社主
ミッチェル夫人(スプリング・バイイントン):アンの母親
ヘンリー・コンネル(ジェームズ・グリーソン):編集長
ロベット市長(ジーン・ロックハート)

あらすじ

自由な新聞と銘打っていたブリテン新聞は、合理的な新聞として方向転換して再出発することになった。その為リストラが敢行され、若い女性記者アンはクビを切られてしまった。アンは上層部に家族の生活がかかっていると訴えるが、編集長に君のコラムは甘っちょろいと一蹴されてしまう。最後のコラムを書けと指示されるが、キレ気味で自分のデスクに戻る。コラムの修正を依頼されたアンは、ヤケになって記事を捏造する。そのコラムには、「ジョン・ドゥ」が「4年前に失業して以来仕事に就くことができない。こんな州政府の政策に抗議するため市庁の屋上から飛び降りて抗議する」とあった。この記事が新聞に載り、これを読んだ政治家や民衆から新聞社に問い合わせが殺到し、大変な反響だった。アンを呼びつけた新聞社は、「ジョン・ドゥ」の手紙をよこせとアンに迫るが、アンはあれは捏造だとあっさり白状する。とんでもないことだとすぐに「ジョン・ドゥ」の記事は終わらせると言う編集長のコンネルに、アンは「ジョン・ドゥ」の記事を飛び降りる期限のクリスマスイヴまで引き延ばして、新聞社を立て直すべきだと提案する。編集長が呆れていると、ライバル社のクロニクル紙が子供騙しの記事、でっち上げだと酷評していることを知り気が変わって「ジョン・ドゥ」の記事を続けることにする。ちょうど「ジョン・ドゥ」は自分だという浮浪者の男たちが殺到していた。編集長とアンは「ジョン・ドゥ」の面接を始める。アンは一人の背の高い男に目を止め、編集長に目配せをする。「ジョン」の役を田舎でマイナー・リーグの野球選手をしていたが怪我で職を失い浮浪者同然になっていたウィロビーに決めるが、彼は空腹で倒れてしまう。ウィロビーを「ジョン」として契約し、友人の浮浪者大佐と一緒に食事を振る舞われる。ジョンは新しい服を新調してもらいホテル住まわせてもらう。気をよくしたジョンだったが、大佐は金を持つとロクな人間にならないと訴える。アンは社会の矛盾に訴えかけるジョンの写真を撮り新聞のトップ記事に載せる。この記事が大反響を呼び、ファンレターが殺到した。

どんな映画?

名コンビとして知られる監督のフランク・キャプラと脚本家のロバート・リスキンが、最後に手がけた映画で、主演にゲーリー・クーパー、ヒロイン役にバーバラ・スタンウィックが出演し公開当時大ヒットを記録しました。

新聞社の経営方針が変わり
若いコラム記者アンは
あっさりリストラ
父親を亡くしていたアンは
家族の生活がかかっていると
編集長に訴えますが
聞き耳持たず
おまけにお前の記事はつまらんと
言われてしまいます。

こんちくしょー!!
キレたアンは思わず記事を
おもしろおかしく捏造
「ジョン・ドゥ」の手紙として
職を失い再就職することも
できないこんな社会に絶望し
クリスマス・イブに市庁舎から
飛び降りてやる!
というものでした。

この記事が大バズりし
大反響を呼びます。
編集長はアンを呼び出し
手紙をよこせと言います。

あるわけないじゃん!
でっちあげだもん。

と言うアンはさらに
「ジョン・ドゥ」を金で雇って
イブまでこの記事を引き伸ばそう!! と提案。
この記事が金になると判断した
編集長とアンは偽
「ジョン・ドゥ」を面接。
長身で元野球選手で現在無職の男を
ぴったりだと「ジョン・ドゥ」に 決定!!

顔出しした「ジョン・ドゥ」に
さらに群集は熱狂するのですが…

全国大会で群集の前に立つ偽「ジョン・ドゥ」

この映画に登場する「ジョン・ドゥ」は、英米で名前が不明な場合や、意図的に本望を伏せる場合に使用される仮名で、主に身元不明の遺体に付けられたりします。日本で言う「名無しの権兵衛」さんを指しますが、コラム投稿なら匿名希望に当たると思います。

新聞の記事から、怒れる市民の「ジョン・ドゥ」が人々から熱狂的に支持され、自然発生的に「ジョン・ドゥ・クラブ」が結成され「草の根運動」に発展していくもの。でも実はその「ジョン・ドゥ」はヒロインが作り上げた理想像に過ぎなかった。 「オペラ・ハット」(1936年)で演じたような朴訥でお人好しな人物を演じたゲーリー・クーパー。特に思想もない人物が次第に作り上げられた「ジョン・ドゥ」になっていく。

大統領を演じていた芸能人が実際に立派な大統領になる世の中なので、虚像が実像になれば結果オーライでは?

どんな映画?

脚本はフランク・キャプラ監督とのコンビで知られるアメリカ合衆国の脚本家ロバート・リスキン。1931年にジョン・ミーハンとの戯曲が、フランク・キャプラ監督、バーバラ・スタンウィック主演の「奇跡の処女」として映画化。同年に同じくフランク・キャプラ監督、ロレッタ・ヤング主演のロマンティック・コメディ「プラチナ・ブロンド」、1933年に同じくキャプラ監督のヒューマンドラマ「一日だけの淑女」の脚色を担当。この映画は1961年に「ポケット一杯の幸福」としてセルフ・リメイクされています。1934年には、スクリューボール・コメディの代表作である「或る夜の出来事」で、アカデミー賞脚色賞を受賞しています。続いて、フランク・キャプラ監督作として、ゲイリー・クーパー主演のロマンティック・コメディ「オペラ・ハット」(1936年)、ジェームズ・ヒルトン原作の空想冒険小説の映画化「失われた地平線」(1937年)、ジェームズ・スチュワート主演のホームコメディ「我が家の楽園」(1938年)の脚本を担当しています。また、1945年にリチャード・ソープ監督、ダシール・ハメット原作の「影なき男」シリーズの一本「風車の秘密」の脚本の一人に名前を連ねています。私生活で「キング・コング」(1931年)のヒロインで知られている女優フェイ・レイと結婚し、リスキンが死去するまで結婚生活は続きました。

野心家の社主ノートンを演じたのはアメリカ合衆国の俳優エドワード・アーノルド。恰幅のいい体型を活かし主に政治家や上司、悪役などで多くの映画に出演されています。サイレントの時代から映画出演を重ね、1932年にマーヴィン・ルロイ監督、ベティ・デイヴィス出演のドラマ映画「歩道の三人女」に出演。続いて同じくマーヴィン・ルロイ監督の「仮面の米国」(1932年)、カート・ニューマン監督のホラー映画「青い部屋」(1933年)では刑事役を、伝説のエンターテイナー、メイ・ウェスト主演の「妾は天使ぢゃない」(1933年)、マルクス兄弟による伝説のコメディ映画「吾輩はカモである」(1933年)、ダシール・ハメット原作のハードボイルド映画「ガラスの鍵」(1935年)、ジェームズ・ホエール監督のサスペンス映画「不在証明なき殺人」(1935年)での探偵役、「罪と罰」(1935年)でのポルフィーリー警部役、フランク・キャプラ監督の「我が家の楽園」(1938年)や「スミス都へ行く」(1939年)、「キスメット」(1944年)、「パーキントン夫人」(1944年)、「私を野球につれてって」(1949年)、「アニーよ銃をとれ」(1950年)などに出演しております。また、「Eyes in the Night」(1942年)と「隠れた眼」(1945年)で、盲目の刑事ダンカン・マクレーンを演じています。

まとめ

名無しの権兵衛さんで地獄行き

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