つぼみの謎「市民ケーン」

ミステリー

シチズンといえば…
やっぱり腕時計を思い出してしまいます。

[原題]Citizen Kane
[製作年]1941[製作国]アメリカ
[日本公開]1961(テレビ放映)、1966(劇場公開)
[監督・製作・脚本]オーソン・ウェルズ
[脚本]ハーマン・J・マンキーウィッツ
[編集]ロバート・ワイズ
[音楽]バーナード・ハーマン
[上映時間]119

主な登場人物

チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ):
手段を選ばないやり方で自分の新聞を業界トップにし、政財界に進出を試みるも…

ジェデッドアイア・リーランド(ジョセフ・コットン):
ケーンの友人。

スーザン・アレキサンダー(ドロシー・カミンゴア):
ケーンの愛人だったが後に2番目の妻となる。ケーンの要求によってオペラ歌手としてデビューするが。

その他の登場人物

トンプソン(ウィリアム・トンプソン):新聞記者、「バラのつぼみ」の謎を追うため、ケーンの周囲にいた人物たちにインタヴューを試みる。
エミリー・ノートン(ルース・ウォリック): ケーンの最初の妻。大統領の姪。
メアリー・ケーン夫人(アグネス・ムーアヘッド): ケーンの母。ケーンの将来を考え手放す。
ジェームズ・W・ゲティス(レイ・コリンズ):ケーンの政敵。
新聞記者(アラン・ラッド)
ラストシーンに登場する新聞記者(アーサー・オコンネル)

あらすじ

かつてザナドゥーと呼ばれた大豪邸を建設し、権力をほしいままにしていたメディア王チャールズ・ケーンは、今や荒廃し立ち入り禁止になっている屋敷で「バラのつぼみ」と一言言い残し絶命した。その手からは雪の降りしきるスノーボールが転がり、粉々に砕け散った。彼の死は、その孤独な死とはうらはらにすぐに映画ニュースになり、世界中の新聞各社は彼の人生をことさらに書きたてた。ケーン自ら彼の新聞の最大の話題となった。彼の最盛期、37の新聞を傘下におき2つの通信社と1つの放送局、その他あらゆる業種を掌握し長年に渡り資金源となったのが世界3位の金鉱の富であった。その起源はコロラドの下宿屋。1868年下宿屋の主人であったケーンの母親が廃鉱の権利書を受け取ってからだ。
新聞記者トンプソンはケーンが最期に残した「バラのつぼみ」の意味を探るべく、ケーンに関わる人々にインタヴューを行うことにする。最初に彼が訪れたのは愛人で後に二番目の妻となったスーザンが出演している店、「エル・ランチョ」に行く。しかし酔いつぶれた彼女は何も話さなかった。次にケーンの代理人であった、ウォルター・サッチャーの図書館に行き、彼の手記を読む。サッチャーがケーンと初めてあったのは雪の降りしきるコロラドの下宿屋。彼の母親は、下宿人が宿代を踏み倒したままおいていった金鉱の株券が思いもかけず金脈を堀あて莫大な財産を相続するにいたった。このため母はケーンの将来の為、自分は身を引き教育や養育のすべてを銀行代理人のサッチャーに預けた。サッチャーは少年ケーンを連れていこうとするが、母親が来ないと知って持っていたソリで抵抗する。おいていかれたソリは雪の中に埋もれ、サッチャーからクリスマスに新しいソリが贈られた。25歳になったケーンはサッチャー商会から独立しすべての財産を引き継ぐこととなったが、ケーンは新聞に興味を持ち「ニューヨーク・インクワイアラー」の経営に乗り出した。

どんな映画?

奇才オーソン・ウェルズが若干25歳で初監督したこの「市民ケーン」と言う作品が、アメリカ映画史上に残る傑作とされています。
1998年に出されたアメリカ映画(AFI)ベスト100で1位に選ばれています。

今でこそ傑作とされているこの映画ですが公開当初、ある人物により徹底的に妨害され、正当な評価を受けることができませんでした。
そのある人物と言うのが、ウィリアム・ランドルフ・ハーストでした。
この「市民ケーン」という映画は実在の新聞王ハーストの人生をモデルにしていたからです。
当時すでに高齢であったハーストですがなぜそれ程、激怒させたかといいますと、映画が彼の新聞に対する皮肉と愛人であった女優のマリオン・デイヴィスを揶揄し、メディア王として権力と巨万の富を築きながらも孤独のまま死んでいくというものだったからとされています。

では実際の映画「市民ケーン」はといいますと…

冒頭閉鎖された薄暗い豪邸の中で
一人スノーボールを抱えた老人が
「バラのつぼみ」
と一言言い残しこと切れました。

老人の名はケーン。
ケーンの死亡記事が新聞は瞬く間に各国の新聞に掲載されました。
最後に日本の新聞が出てきます。1941年の12月に太平洋戦争開戦なのでそれ以前になりますね〜
 
彼が今際の際に言い残した「バラのつぼみ」とは何なのか?
トンプソンと言う新聞記者がその謎に挑むべくケーンが生前関わっていた人物に取材に行くと言うのが大まかなプロットです。

ナラタージュ(Narrative)形式でストーリーが進んでいくのですが、このナラタージュと言うのはナレーションとモンタージュを合わせた造語で、ある人物のナレーションに合わせて過去の話が展開される語りや回想によって過去を再現すると言うものです。

初めに訪れた場末のクラブにいたのは
酔い潰れたスーザンでした。
彼女はケーンの愛人でありその後2番目の妻となります。ケーンはオペラ歌手を目指していた彼女の為に劇場を買取り、彼女を主役にしスターにすべく大体的に宣伝しましたが、実力が伴わらず批評家に酷評されてしまいます。

このスーザンのモデルが、ハーストの愛人であった女優マリオン・デイヴィスでした。
ハーストはマリオンのために映画制作会社を設立し彼女を女優としてデビューさせましたが、実際のマリオンは大根役者で世間の失笑を買っただけでした。

映画監督のケネス・アンガーによる胡散臭いゴシップ本「ハリウッド・バビロン」では、嘘か誠かオーソン・ウェルズが映画の構想を練っていた時に、ハーストがマリオン・デイヴィスの× × × ×を「バラのつぼみ」を呼んでいるというエロ・ゴシップを耳にして、こりゃおもしれーとばかりに作り上げたのがこの映画だというのです。

パンフォーカスやローアングルの多用という、当時としては斬新な撮影技法が使われ、映画史に残る傑作とされているこの映画が、猥談の産物だとしたらマジでひっくり返ります。

スタッフ・キャスト

てなわけで天才と称賛されながら不遇なデビューを飾ったオーソン・ウェルズ。「市民ケーン」はアカデミー賞9部門に ノミネートされましたが、受賞したのは脚本賞のみでオーソン・ウェルズはまったく無視されました。その後もやはり不遇と言わざるを得ない状況に陥り、次回作の「偉大なるアンバーソン家の人々」
は制作会社によりズタボロに編集され違うハッピーエンド作にされてしまいました。その後は映画を撮るための資金を獲得するための俳優業をこなしながらフィルムノワール や好きなシェイクスピア劇の映画化などあまり多くの作品を残すことができませんでした。

脚本を担当しているのは名監督であるジョーゼフ・L・マンキーウィッツの実の弟であるハーマン・J・マンキーウィッツです。この「市民ケーン」で1941年のアカデミー賞を受賞しました。

ケーンの母親役で最初の方にちょっとだけ登場したアグネス・ムーアヘッドはこの後60年代に、テレビ版「奥様は魔女」の主人公サマンサの母親魔女役で有名です。

まとめ


孤独という名の地獄行き

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