銭湯に潜入「東京暗黒街・竹の家」

フィルムノワール

公衆浴場に入る時は
割と堂々としているタイプです。

[原題]House of Bamboo
[製作年]1955[製作国]アメリカ
[日本公開]1955
[監督・脚本]サミュエル・フラー
[脚本]ハリー・クライナー
[製作]バディ・アドラー
[音楽]リー・ハーライン/ライオネル・ニューマン
[上映時間]102

主な登場人物

サンディ・ドーソン(ロバート・ライアン):
アメリカ人ギャングの親分。東京を牛耳っており補給列車武器強奪事件やウェッパーの死に関わっている模様。

マリコ・ナゴヤ(山口淑子):
ウェッパーの日本人妻。ウェッパーとは秘密裏に結婚しており、男が死んだ後友人だというエディと知り合う。

その他の登場人物

エディ・スパニア(ロバート・スタック):死んだウェッバーの友人だという男。
キタ警部(早川雪州):武器強奪事件を担当する日本人刑事。
グリフ(キャメロン・ミッチェル):サンディの一番の子分
ジョン(ハリー・ケリー・Jr):武器係
ハンソン大尉(ブラッド・デクスター):ケナー軍曹の上官
早川雪洲の台詞吹き替え(リチャード・ロー)

あらすじ

1954年、東京へ向かう軍の補給列車を日米の保安隊が警護していた。そこに牛を連れた農夫の格好をした強盗が現れ保安隊を襲撃し貨物が奪い去られた。機関士と助手、保安隊2名が襲われ、米軍の軍曹が殺害された。このため米軍と日本警察の合同捜査が行われる事となり、日本人の捜査官としてキタ警部が担当し、米軍憲兵隊も捜査に加わることとなった。軍曹の遺体も確認した合同捜査班は、拳銃や弾薬などの盗まれた武器を確認。事件から5週間が経ちウェッパーという男が強盗中に仲間に撃たれ、その事件で使用された拳銃が軍曹が殺害された物と同一だったという。手術中のウェッバーに取り調べしエディ・スパニアとの関係性を尋ねるが見当違いだと答える。エディが出所したら仲間に入るというウェッバーへの手紙を見つけた陸軍捜査官はエディが強盗仲間だと考える。ウェッバーの財布の中に入れられていた写真にはマリコという女性が写っていた。マリコとは2ヶ月前に秘密裏に結婚したという。その3週間後シスコから横浜にエディが到着した。すぐさま東京に向かい国際劇場に立ち寄った。エディは稽古をしているという屋上に行きマリコ・ナゴヤを訪ねるがさよならと言っていなくなったと言う。エディはマリコを探しまわり銭湯で慌てて出ようとする彼女を見つけ追跡する。家に戻ったマリコの元を訪れたエディは逃げようとする彼女を押し倒し、夫ウェッバーの友人だと写真を見せた。軍隊にいた頃の2人の写真を見たマリコは納得し、マリコは夫を殺した仲間が探しに来たのかと思って逃げたとエディに告げる。エディは彼が死んだことを知りわざわざアメリカから来たエディは落胆した。ウェッバーが強盗で殺され警察に通報していないというマリコは伯父の家に身を寄せ、2人の結婚は秘密なので自分からは通報できないし結婚相手が犯罪者なんてと泣いた。マリコは自分も殺されないかと懸念していた。エディは数店のパチンコ屋を訪れボスに強引に用心棒契約を取り付けようとするが、すでに牛耳られているアメリカ人ギャングに打ちのめされてしまう。ボスのサンディはエディに東京のパチンコ屋はやめておけと追い出す。人混みの中エディは真珠を盗んだだろともみくちゃにされそのまま交番に追いやられる。旅券を問われた時ポケットの中の旅券が無くなっていることに気づきそのまま連行されるが、すぐに勘違いだったと釈放される。そこにサンディの手下が待ち受けとおりエディはサンディの広大な屋敷に通される。サンディから自分たちの仲間にならないかと請われるが、パチンコ屋の手下にはならないと一旦断るも、大きな仕事があるという話に乗っかることにする。

どんな映画?

この映画はウィリアム・ケイリー監督、リチャード・ウィドマークが出演した1948年の映画「情無用の街(The Street With No Name)」の舞台を日本の東京に置き換えてリメイクされたものです。

富士山の麓を通る日本と米軍が共同護衛する
武器輸送列車が襲撃されます。
多数の武器が奪われ アメリカ人軍曹も殺害されてしまいます。

日米合同で捜査が進む中
別の強盗事件で同じ拳銃が使われたことがわかります。
強盗団の逃走中ウェッパーという男が
仲間に撃たれて瀕死の状態でした。
ウェッパーの所持品の中から友人である
エディ・スパニアに宛てた手紙と
日本人女性マリコの写真が見つかります。
彼が秘密裏に結婚していた女性でした。

エディはウェッパーに呼ばれるまま日本上陸
すぐに東京でマリコを探しまくります
とうとう銭湯に入っているマリコを発見
逃げるマリコの跡をつけ家の中に押し込みます。
エディに自分はウェッパーの友人だと写真を見せます。

エディは東京を牛耳っているギャングの仲間になり
ボスのサンディに気に入られます。

エディにはある目的があり マリコにも協力を求めるのですが…

とにかく日本は富士山出しとけとばかりにバックに富士山。
ご遺体のバックにも富士山!中々見かけない光景です。

実際に1954年当時の山梨、神奈川、東京で撮影され、パチンコ、銭湯、芸者なども登場し外国人が考える日本人風俗が満載されています。 また、ギャングのボス、サンディが当時浅草松屋の屋上にあった遊園地スポーツランドに逃げ込むシーンがあります。さらにサンディは60人乗りの土星のような回転遊戯「スカイクルーザー」に乗り込みます。こちらの乗り物は当時話題になったそうですが、安全性の問題から10年ほどで無くなったそうです。 描かれ方は日本人から見るとトンデモ日本ですが、当時の日本を知れる貴重な映像作品でもあります。

それにしても殿方を喜ばせる秘技なんて親から習っていないですけどネ

スタッフ・キャスト

ギャングのボスを演じたロバート・ライアンはアメリカ合衆国の俳優。1940年のコメディ・ホラー映画「ゴースト・ブレイカーズ」のちょい役で出演。その後1946年にジャン・ルノワール監督のフィルム・ノワールに分類される映画「浜辺の女」で重要な役で出演。同年エドワード・ドミトリク監督の「十字砲火」にロバート・ヤング、ロバート・ミッチャムの3ロバートで共演。1948年ジャック・ターナー監督の「ベルリン急行」でマール・オベロンと共演、1948年にはフレッド・ジンネマン監督のフィルム・ノワール「暴力行為」で主演し、ジャネット・リー、メアリー・アスターと共演しています。翌年の1949年にはマックス・オフュルス監督、「魅せられて」、ロバート・ワイズ監督のフィルム・ノワール「罠」、1950年にメル・ファーラー監督クローデット・コルベール主演の「狙われた結婚」、ニコラス・レイ監督ジョーン・フォンテイン主演の「生まれながらの悪女」、1951年にはジョン・クロムウェル、ニコラス・レイ共同監督ロバート・ミッチャム主演の「脅迫者(ラケット)」に出演、1952年ニコラス・レイ監督アイダ・ルピノ主演の「危険な場所で」、同年フリッツ・ラング監督バーバラ・スタンウィック「熱い夜の疼き」、また、アイダ・ルピノと再共演した「優しき殺人者」に出演し1950年代までに多くのフィルム・ノワール作品に出演されました。後には冷酷な悪役で広く知られています。

ヒロインのマリコを演じたのが李香蘭こと山口淑子女史。この映画の当時はアメリカではシャーリー・山口として活躍されていましたが、戦前の中国で李香蘭と言う中国名で歌手、女優として活動開始。当時その美声と美貌から国民的人気を博した伝説のお方です。その頃中国の人や日本人からも中国の方だと思われていた山口淑子。日本人の両親から生まれ日本国籍でしたが中国で生育しているため中国語はネイティブ。1940年の20歳の頃、満州映画協会制作の映画「支那の夜」に反日感情を抱く中国人娘として出演。伝説のイケメン日本人俳優、長谷川一夫と共演し、劇中歌われたのが西条八十作詞、服部良一作曲の名曲「蘇州夜曲」でした。映画自体はヒットしたのですが、中国の若い娘が日本人男性に反抗的な態度を諌められというかぶん殴られ、看病されて絆されるという中々屈辱的なもの。日本人同士でも当時のメロドラマではよくある内容ですし、この「東京暗黒街・竹の家」でも山口淑子演じるマリコがロバート・スタック演じるエディに殴られて蹂躙させられるシーンがありますが、外国人男性に殴られて言う事きかされると言うのは女性として観ていて気持ちいいものではありません。「支那の夜」の出演は中国の方の心情やご自身自体もその後禍根を残すものとなりました。ヒット曲の「夜来香」は日本でも知られています。しかし終戦後中国人と思われていた為「漢奸」(戦中日本に協力していた中国人)として軍事裁判にかけられてしまいます。無事に日本人であることが証明され日本に戻ることができましたが、自伝のドラマ化で中国の裁判官に「中国人と偽って国辱的な映画に出演したことは遺憾」だと述べられるシーンは印象的でした。日本に戻られてからも女優として活躍し、1950年に池部良と共演した「暁の脱走」に出演、同年には黒澤明監督、三船敏郎と共演した「醜聞」にも出演されました。また私生活では彫刻家のイサム・ノグチと結婚していたこともで知られています。 女優引退後は大鷹淑子として長らく参議院議員として活動されていました。晩年は大きなサングラスが印象的なお方でしたが、この映画の頃は小柄でやや大顔ながらも、日本人離れしたはっきりとした目鼻立ちの美しさは際立っております。

日本人警部として登場したのは伝説の日本人サイレント俳優早川雪洲。大正時代にアメリカに渡り俳優として活躍。1915年に出演したセシル・B・デミル監督の「チート」では、悪役ながらも当時のアメリカ人女性をセクシー俳優として虜にしたそう。映画の黎明期から国内外多くの映画に出演。現代の人が辛うじて観ているのは1957年のデヴィッド・リーン監督の名作戦争映画「戦場にかける橋」の斉藤大佐役でしょうか。「東京暗黒街・竹の家」ではあまり活躍しないのが残念です。

まとめ

ステレオタイプ日本で地獄行き

コメント

タイトルとURLをコピーしました