自分だけは大丈夫って思っていても、知らないうちになってしまうのが依存症。
[原題]The Lost Weekend
[製作年]1945[製作国]アメリカ
[日本公開]1947
[監督・脚本]ビリー・ワイルダー
[原作]チャールズ・R・ジャクソン
[製作・脚本]チャールズ・ブラケット
[音楽]ミクロス・ローザ
[上映時間]101
主な登場人物
ドン・バーナム(レイ・ミランド):
スランプの作家。アル中で酒を飲みさえすれば上機嫌で饒舌。
ヘレン・セント・ジェームズ(ジェーン・ワイマン):
ドンの恋人。ドンを献身的に支える。
その他の登場人物
ウィック・バーナム(フィリップ・テリー): ドンの兄、メガネ
グロリア(ドリス・ダウリング): 酒場の女
ナット(ハワード・ダ・シルヴァ): バーテン
あらすじ
ドンのアパートの部屋の窓からロープでつるされている酒瓶が見える。アルコール依存症のためスランプ中の作家ドンは気分転換のため兄のウィックから旅行に誘われる。一緒に荷造りしている中、兄の目を盗んで吊るしてあった酒瓶をこっそりカバンの中に入れようとしたがロープが外れず断念。そこにドンの恋人ヘレンが餞別を持って見送りにやって来る。これから音楽会に行くというヘレンに二枚あるチケットがもったいないとドンはヘレンと兄を音楽会に行かせようとする。訝しく思ったウィックは窓から吊るされているウィスキーを見つけて流しに捨ててしまう。2人で出掛けていったがヘレンは酒を買いに行かないか心配する。ウィックは金も無いし周囲には売らないで欲しいと頼んでいた。2人が出掛けた後、ドンは狂ったように部屋中を探すが何もない。そこに掃除の家政婦が訪ねてくるがドアを開けないで話すと、彼女は給金を受け取りに来たという。給金の場所はどこだと聞くと台所の砂糖入れの中に10ドル入っているという。ドンはそれをくすねて家政婦を帰し、意気揚々と酒を買いに出掛けた。その後馴染みのバーに行きバーテンのナットにウィスキーを注文する。飲んだ後のドンは人が変わったように饒舌になり万能感に満たされているようだった。一方ドンの部屋に戻ってきたヘレンとウィックはドンがいなくなっていたことに絶望感を覚えていた。兄のウィックはもう知るまいと見捨てるような発言をし荷物を持って出ていこうとするが、ヘレンはあの人は病気だ治療が必要なのだと涙ながらに訴えた。時間に気づいたドンは慌てて部屋に戻るが入り口でヘレンがウィックを見送っているのを見つけて隠れる。ウィックはそのままタクシーに乗って行ってしまったがヘレンはこのままドンの帰りを待つという。ドンはこっそり部屋に入り酒瓶を電灯の傘の上に隠しそのまま飲みながら寝てしまう。翌朝ドアにヘレンからの電話してというメモが貼られていた。しかしそのままバーに行くドンだった。
どんな映画?
この映画はアルコール中毒者を真正面から描いた最初の映画としてよく知られており、1945年のアカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞の4冠を獲得してばかりでなくカンヌ映画祭でグランプリを獲得するダブル受賞の快挙を成し遂げた初めての映画とされています。
映画の冒頭アパートの外観が映され
左から3つ目の窓からなんかロープがぶら下がっています。
ロープの先にぶら下がっているのは酒瓶♪
主人公のスランプ作家ドンがなぜこんなことをしているかと言いますと
兄のウィクが迎えに来るから。
アル中のドンを心配したウィクは監視も兼ねて週末一緒に過ごそうと計画。
ぶら下げていた酒も兄に見つかれ捨てられてしまいます。
とにかく酒が飲みたくて仕方がないドンは、見送りに来た彼女のヘレンと兄を体良くコンサートに追い出す始末。
狂ったように部屋中探しまくってメイドに払う金をくすねてバーにgo!
トコトン クズな行動のドンに未来はあるのか?
どんどん増えていくコップの輪じみ。
映画の中でドンが観劇するオペラはヴェルディの「椿姫」。劇中で歌われる「乾杯の歌」でドンに幻覚症状が現れます。トレンチコートの列は地獄絵図。まるで1941年のディズニーアニメ「ダンボ」が酔っ払った時に見る幻覚のよう。
この映画はアメリカの小説家チャールズ・R・ジャクソン原作を映画化したものですが、自伝的小説でもあり本人自身終生アルコール中毒の症状に苦しんだそうです。
映画音楽の巨匠ミクロス・ローザがこの映画で初めてテルミンを使った
アカデミー賞作曲賞にノミネートされましが、獲得したのは同じくミクロス・ローザが音楽を担当したアルフレッド・ヒッチコック監督の「白い恐怖」でした。
ラストに希望を持たせて終了するこの映画ですが、1962年のジャック・レモン主演の映画「酒とバラの日々」では酒でトコトン堕ちていくカップルの姿を描いています。簡単に辞められたら苦労しない中毒症状。依存の中にある人生の悲喜交交は反面教師にしたいもんです。
スタッフ・キャスト
ハンガリー出身でアメリカに亡命しハリウッドで活躍した監督のビリー・ワイルダーは、前年の1944年にバーバラ・スタンウイック主演の名作フィルム・ノワール「深夜の告白」で大ヒットを収めていました。それを受けて製作した「失われた週末」でしたが、試写会当初反響が悪く監督自身を失望させたそうですが、蓋を開ければ異例の大反響。監督自身はアカデミー賞監督賞、脚本賞をダブル受賞し、初のオスカー獲得となりました。同じく脚本賞を受賞したチャールズ・ブラケットはビリー・ワイダーとのコンビで良く知られており、1936年から1950年の「サンセット大通り」でコンビを解消するまでのワイルダー作品の主な脚本を担当されていました。
この映画でアカデミー賞主演男優賞を受賞したレイ・ミランド。イギリス出身で端正な顔立ちに演技力を身につけたところたちまち頭角を現し人気俳優に。1944年にマーティン・スコセッシ監督も絶賛のホラー映画「呪いの家」に出演、同年にフリッツ・ラング監督のサスペンス映画「恐怖省」に出演し、1948年には後にケビン・コスナー主演でリメイクされた「大時計」などのフィルム・ノワールに出演。1950年代にはヒッチコック監督の「ダイヤルMを廻せ!」出演し、1970年に出演した大ヒット映画「ある愛の誌」では主人公の父親役を演じています。その後はB級映画など晩年まで数多くの作品に出演されていました。
ドンを献身的に支える恋人役のジェーン・ワイマン。この映画の出演で注目され1948年に「ジョニー・ベリンダ」の演技でアカデミー賞主演女優賞を獲得しています。1950年にはヒッチコック監督の「舞台恐怖症」に出演。その後はロック・ハドソンと共演した「天はすべて許し給う」(1955年)などのメロドラマが有名です。
主人公ドンの兄役で登場するフィリップ・テリーはキャリアの初期の頃は端役が多かったのですが、1940年代頃から活躍。1947年にはフィルム・ノワールの「生まれながらの殺し屋」などに出演。大女優ジョーン・クロフォードの元夫であったことでも知られています。
バーで出会う女役のドリス・ダウリングはアメリカ人女優。1940年代にビリー・ワイルダーと交際していたとされていますが結婚はせず。後に離婚していますがクラリネット奏者として有名なアーティ・ショウの7番目の妻となっています。この映画に出演後レイモンド・チャンドラー原作の映画化「青い戦慄」(1946年)に出演。ヨーロッパに渡りジョゼッペ・デ・サンティス監督の「にがい米」(1949年)やオーソン・ウェルズ監督の「オセロ」(1952年)などに出演しております。
まとめ
アル中で地獄行き
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