災い転じて「悪人と美女」

ドラマ

こんちくしょーと思った相手を
見返そうと奮起して結果的には
ムカつく相手のおかげで今の地位が
あったりするのもよくある話。
でもその人に感謝したくないのもよくある話

[原題]The Bad and the Beautiful
[製作年]1952[製作国]アメリカ
[日本公開]1953年
[監督]ヴィンセント・ミネリ
[脚本]チャールズ・シュニー
[製作]ジョン・ハウスマン
[撮影]ロバート・サーティス
[編集]コンラッド・A・ネルヴィッヒ
[衣装]ヘレン・ローズ
[録音]ダグラス・シアラー
[音楽]デイヴィッド・ラクシン
[上映時間]118

主な登場人物

ジョージア・ロリソン(ラナ・ターナー):
亡くなった有名俳優の娘。アルコール依存の問題を抱えていたが、ジョナサンによって女優として成功する。

ジョナサン・シールズ(カーク・ダグラス):
ワンマン映画プロデューサー。映画製作に対する並々ならぬ思い入れの為、周囲の人間に結果的に恨みを買ってしまう。

その他の登場人物

ハリー・ぺベル(ウォルター・ビジョン):映画製作者。ジョナサンに投資
ジェームズ・リー・バートロウ(ディック・パウエル):ピューリッツァー賞受賞作家、脚本家
フレッド・アミエル(バリー・サリヴァン):人気映画監督
ローズマリー・バートロウ(グロリア・グレアム):ジェームズの妻
ヴィクター・リベラ(ギルバート・ローランド):ガウチョと呼ばれるラテン俳優
ヘンリー・ホイットフィールド(レオ・G・キャロル):監督
ライラ(エレイン・スチュワート):新人女優
シド・マーフィー(ポール・スチュワート):ジョナサンのパートナー

あらすじ

映画監督のフレッドの元にパリにいるプロデューサーのジョナサンから電話が入った。次に女優のジョージア、作家のバートロウと次々に招集されたが、皆ジョナサンを恨んでいた。シールズ・ピクチャーズを訪れた三人を迎えたのはハリーだった。ハリーは三人にジョナサンが2年ぶりに映画を製作しようとしており、それぞれに脚本と監督と主演を頼みたいのだと言う。しかし三人にはそれぞれジョナサンに対し、昔年の恨みがあった。 映画監督のフレッドとジョナサンが出会ったのは18年前。ジョナサンの父親の葬儀の時だった。ジョナサンの父親は映画会社を設立した直後亡くなってしまい、財産はほぼなかった。ジョナサンはその金を葬儀の為に集まってくれたエキストラに配った。しかしフレッドに対してはそれらしくないと渡さなかった。当時B級映画の助監督をしていたフレッドはジョナサンの屋敷を尋ね、いずれは映画を作りたいと意気投合し、二人で映画業界に乗り出した。とあるパーティーでジョナサンは、ハリー・ペバルがポーカーに興じ一人勝ちしている場面に出くわす。ジョナサンは自分ならハリーを負かせると嘯くが、映画の資金集めの為に参加したポーカーでハリーに大借金をしてしまう。しかしジョナサンはスタジオ製作責任者のハリーに対し、自分をB級映画のプロデューサーにして借金を返していくと頼む。ジョナサンの父親を知っていたハリーはその提案をあっさり飲み、その後ジョナサンは11本のB級映画を製作、フレッドは6本の映画を監督した。ある日ハリーにホラー映画「猫男たちの悲運」という映画の製作が命じられた。猫男の安っぽいビジュアルに悩むが、ジョナサンが影を使ったアイデアを出し映画は低予算にも関わらずヒットしていった。映画に思いを馳せる中、夜中にジョナサンとフレッドはかつての俳優ジョージ・ロンソンが建て、今や廃屋になっていた屋敷に入る。帰ろうというフレッドに、ジョナサンはその俳優との思い出話をし、壁に描かれていた俳優が描いたジョナサンの父親の似顔絵を切り取った。いい俳優だと言うジョナサンに、最低の酔っ払いだと罵る女の声が聞こえたきた。2階からぶら下がっている足が見え、女はその俳優の娘だと答える。

どんな映画?

ミュージカル映画で定評のあったヴィンセント・ミネリ監督が、小説家ジョージ・ブラッドショーのハリウッドの内幕ものの雑誌記事を映画化。

オスカー受賞監督のフレッド
人気女優のジョージア
ピューリッツァー賞受賞作家バートロウ
の三人が電話で呼び出されます。

シールズ・ピクチャーズを訪れた
三人を出迎えたのは
映画プロデューサーのハリー
ハリーは三人にまた映画のために
ジョナサンに力を貸して欲しいと頼みます。
しかし三人にはそれぞれジョナサンに恨みがありました。

18年前B級映画の助監督をしていた
フレッドはある人物の葬儀に出ていました。
葬儀には大勢来ていましたが
実は故人の息子のジョナサンが金を払って
呼んでいたエキストラでした。
そうして知り合った二人で映画業界に乗り出し
プロデューサーのハリーを取り込んで
B級映画を量産
そのうちにヒットを飛ばすのですが…

ジョナサンの電話を聞くフレッド、ジョージア、バートロウの三人

ジョージ・ブラッドショーが1949年に雑誌に発表した記事を元に、俳優としても知られている映画プロデューサージョン・ハウスマンが製作を担当しています。 もともとは劇場プロデューサーが傷付けた作家、俳優、監督の三人をめぐる証言に関する内容でしたが、1950年のジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「イヴの総て」と被るため、ハリウッドに変更。映画は「イヴの総て」「サンセット大通り」と並ぶ内幕ものとして有名な作品となりました。

映画の登場人物のモデルは、様々取り沙汰されていましたが、完璧主義で傲慢なプロデューサー、ジョナサン・シールズは、「キング・コング」(1933年)や「レベッカ」(1940年)などの映画で知られるデヴィッド・O・セルズニックや、「市民ケーン」(1941年)のオーソン・ウェルズ、「キャット・ピープル」(1942年)のプロデューサーとして知られているヴァル・リュートンのミックス系だと言われています。

この映画にはサイレント時代にイケメン俳優として活躍し、「映画のキング」と称されたフランシス・X・ブッシュマンがチラッと登場しています。この頃のブッシュマンはかつての人気は凋落し、忘れられた存在となっていました。これは1950年にビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」で、バスター・キートンなどの往年のスターを実際に出演させたいたことに似ています。

映画の後半に作家バートロウの妻として登場したグロリア・グレアムが、アカデミー助演女優賞受賞を獲得しています。この出演時間の短さは1976年にシドニー・ルメット監督の「ネットワーク」に出演したベアトリス・ストレイトが助演賞を獲得するまで最短出演時間でした。

デビッド・ラクシンが書いた主題歌「The Bad and the Beautiful (Love Is For The Very Young)」はジャズのスタンダードとなりました。

スタッフ・キャスト

監督はアメリカ合衆国の映画監督ヴィンセント・ミネリ。1943年にミュージカル映画キャビン・イン・スカイ」で長編映画初監督。1944年には翌年に監督の妻となるジュディ・ガーランドが主演したミュージカル映画「若草の頃」を監督。この映画は大ヒットを記録しアカデミー賞では4部門にノミネートされました。その後ジェニファー・ジョーンズ主演の「ボヴァリー夫人」(1949年)、スペンサー・トレイシー、ジョーン・ベネット、エリザベス・テイラーが出演した家族映画「花嫁の父」(1950年)、大ヒットミュージカル映画「巴里のアメリカ人」(1951年)、フレッド・アステア主演のミュージカル映画「バンド・ワゴン」(1953年)などのヒットを飛ばします。また、1958年にはコレットの小説「ジジ」を映画化した「恋の手ほどき」で、アカデミー賞監督賞を受賞しています。 私生活では女優で歌手のジュディ・ガーランドとの間にライザ・ミネリがいらっしゃいます。

女優ジョージア役はアメリカのスター女優でピンナップモデルとして知られたラナ・ターナー。1941年にマーヴィン・ルロイ監督のフィルム・ノワール「ジョニー・イーガー」に出演。同年にはヴィクター・フレミング監督の「ジキル博士とハイド氏」(1941年)に出演し、ハイド氏を演じるスペンサー・トレイシーの美しき婚約者を演じました。1946年にテイ・ガーネット監督の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で悪女を演じ、セクシー女優としてスター座に上り詰めました。40年代のラナ・ターナーはアメリカで最も高級取りの女優の一人となっていました。

ハリーを演じたウォルター・ピジョンはカナダ出身の映画俳優。1936年にラウール・ウォルシュ監督、ケーリー・グラント主演のサスペンス映画「アメリカの恐怖」に悪役で出演。1941年にはフリッツ・ラング監督の「マン・ハント」に主演、同年にマーヴィン・ルロイ監督の「塵に咲く花」、ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」に出演。その後は「ミニヴァー夫人」(1942年)、「キュリー夫人」(1943年)、「パーキントン夫人」(1944年)などの映画で夫役で立て続けに出演。その後はカルトSF映画「禁断の惑星」(1956年)、オットー・プレミンジャー監督の「野望の系列」(1960年)など晩年まで多くの映画に出演されていました。

作家のバートロウを演じたディック・パウエル。キャリアの初期は青春スターとして活躍しましたが、中年に差し掛かってからロマンス路線を断念、代わりにシフトしたのがフィルム・ノワールの主人公のタフガイ役でした。1943年にエドワード・ドミトリク監督の初のフィリップ・マーロウ映画化作である「ブロンドの殺人者」に主演し、初めてフィリップ・マーロウを演じた役者として知られています。続いて同監督の「影を追う男」(1945年)、ロバート・ロッセン監督の「ジョニー・オクロック」(1947年)、アンドレ・ド・トス監督の「落とし穴」(1948年)、アンソニー・マン監督の「高い標的」(1951年)、ロバート・パリッシュ監督の「犯人を逃すな」(1951年)などの多くのフィルム・ノワールで活躍。またロバート・ミッチャム主演の戦争映画「眼下の敵」(1957年)などの監督でも知られています。

まとめ

プロデューサーに翻弄されて地獄行き

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