美人妻の憂鬱「めし」

ドラマ

花の命はホントに短い。

[原題]めし
[製作年]1951[製作国]日本
[監督]成瀬巳喜男
[原作]林芙美子
[脚本]田中澄江他
[音楽]早坂文雄
[上映時間]97

主な登場人物

岡本初之輔(上原謙):
三千代の夫。典型的な当時のサラリーマン。

岡本三千代(原節子):
初之輔の美人妻。結婚5年目で子供もおらず最近ちょっと倦怠気味。

その他の登場人物

岡本里子(島崎雪子):東京の初之輔の姪
村田まつ(杉村春子):三千代の母
村田光子(杉葉子):三千代の妹
富安せい子(風見章子)
村田信三(小林桂樹)
谷口芳太郎(大泉滉):しげの息子
初之輔の同僚(清水一郎)
丸山治平(田中春男)
岡本隆一郎(山村聰)
山北けい子(中北千枝子)
鍋井律子(谷間小百合)
隆一郎の妻(長岡輝子)
谷口しげ(浦辺粂子):隣のおばはん

あらすじ

恋愛結婚し、東京から大阪に住む三千代は、結婚五年目の美人妻だった。夫はまだ稼ぎもそれほどなく、苦しい家計をやりくりする毎日だが三千代の顔を見れば「めし」と言われ、わびしさを感じていた。そんな中、夫の姪である里子が突然、家出してきたと現れた。若く美しく自由奔放に生きる里子に何とも言えず疎ましさを覚えた。同窓会があり、東京に日帰りすることになった三千代は、久しぶりに旧友に会いそれぞれの境遇をうらやんだが、三千代の実際の生活は子供もなく倦怠期を迎えており人からうらやましがられるような生活ではなかった。帰宅後、家事を頼んでいた里子は何もせず鼻血が出たとねっころがり、ちゃぶ台の上には普段飲まないような紅茶があった。かんぐるわけではないがいい気分がしない三千代は、里子を連れて東京の実家に戻った。

どんな映画?

「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」
の句で有名な林芙美子先生による未完の長編小説を元にした映画です。

昭和26年の大阪
周囲の反対を押し切って結婚したらしい美男美女の初之輔と三千代は結婚5年目の子供がいない夫婦

当時としては珍しい恋愛結婚でしたが5年も経てば新婚とは言えません。

初之輔も三千代の顔を見れば
「めし まだか?」
私の名前はめしじゃねーよ

台所と茶の間を行き来するだけの単調な毎日に
一体これが死ぬまで続くのか
女の一生はこんなものかと
ため息…

妻の気持ちはつゆ知らずの旦那はどーも証券マンらしい。
会社はすんごい黒電話の数です。

そんな二人の前に突然訪れたのが
初之輔の姪里子でした。
東京から家出してきた里子は若く
奔放な娘さん。

若く魅力的な里子を初之輔を含む周りの男たちはチヤホヤ。
内心面白くない三千代でしたが…

いつの時代でも隣の芝生は青く見えるのか独身は既婚者を羨み、既婚者は独身者を気楽でいいなと思うもの。

平凡な夫婦の中にある、倦怠感やちょっとしたことでいさかいがおこる何気ない日常が描かれています。
お米足りるかしらと気にする三千代の姿は所帯染みており、生活やつれした様は、それまで清楚な役を演じてきた原節子の新境地でした。

美人妻で当時としては珍しい大恋愛で結婚しても生活はつまんないんだなあ…と結婚の現実がやけにリアリティに描かれています。
みんなに美男美女の結婚で姑もおらず二人きり、幸せに違いないと思われ不満を顔に出せない地獄は現代でも共通している主婦の悩みの一つではないでしょうか?

1951年(昭和26年)に朝日新聞で連載されていた「めし」でしたが、原作者の林芙美子女史が47歳の若さで心臓麻痺による急死によって未完の絶筆となりました。ですのでこの映画のラストは製作側の創作になっておりますが、友人であるノーベル文学賞作家川端康成の監修を受け、映画会社の要望もあり当たり障りのない結末を迎えます。
映画は当時大ヒットし監督成瀬巳喜男復活のきっかけになった重要な作品です。
ですが、個人的には林芙美子原作ならやっぱり、女性が夫に従うだけの人生よりも戦後の機運の中で自立していく女性像を描いて欲しかったな〜と思います。

ニッポン人なら一度は観ておいて損はない名作であります。

スタッフ・キャスト

監督の成瀬巳喜男は東京府出身。林芙美子や川端康成、室井犀星など文豪の原作を元にした文芸映画を多く監督。原節子や高峰秀子などの大女優や人気女優を起用し女性映画の名手として知られています。1951年の「めし」のヒットを受け、同じく林芙美子原作にそれぞれ父親の違う三人姉妹を描いた「稲妻」(1952年)では高峰秀子を主演に。翌年「妻」(1953年)でも上原謙と高峰秀子を起用。続けて「晩菊」(1954年)、「浮雲」(1955年)と立て続けに林芙美子原作を映画化。1962年に林芙美子の代表作である「放浪記」を高峰秀子主演で映画化しております。

小津安二郎の映画で神格化されていた「永遠の処女」こと伝説の女優原節子様。戦前から活躍した銀幕のスター原節子は当時の日本人女性には珍しい長身と杏型の大きな瞳に大きな花、と顔のパーツが大きく清楚な美貌の持ち主でした。戦後は女性教師を演じた青春映画「青い山脈」(1949年)、「続々と青い山脈」、小津安二郎監督と「晩春」(1949年)、黒澤明監督、三船敏郎と「白痴」、再び小津監督と「麦秋」(1951年)、自身の代表作ともなった小津安二郎の日本映画の名作「東京物語」(1953年)で未亡人を演じ多くの日本映画の名作と言われる作品に出演されましたが1960年代にすっぱり銀幕から退かれ、生涯独身を貫いたことも原節子様が伝説の女優になった理由の一つでした。

夫役の初之輔役に当時日本を代表するイケメンスターの上原謙。戦前の1938年に日本を代表する大女優田中絹代と共演した大ヒットメロドラマ「愛染かつら」に出演。この映画は当時の日本で空前の大ヒットを受け上原謙の人気を決定づけたそうです。若大将加山雄三のお父上としても有名ですが、わたくしぐらいの世代からだとすんごい年下の一般女性と再婚し離婚問題で連日ワイドショーを賑わせていたおじいちゃんという印象ですが、いろんな意味で伝説的な銀幕スターであり、すごいお方です。

まとめ

倦怠期緩やか地獄

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