彼女の思い出「悲愁 フェドラ」(1978年)

ドラマ

伝説の女優を伝説の女優が演じると
伝説的な映画になるはず…
とはいかないですネ

[原題]Fedora [製作年]1978[製作国]アメリカ・西ドイツ・フランス [日本公開]1980
[監督・製作・脚本]ビリー・ワイルダー
[原作]トマス・トライオン
[脚本]I・A・L・ダイアモンド
[撮影]ジェリー・フィッシャー
[音楽]ミクロス・ローザ
[上映時間]115

主な登場人物

バリー・デトワイラー(ウィリアム・ホールデン):
ダッチ、フリーのプロデューサー。ハリウッドで助監督をしていた若い頃に、フェドラの映画撮影に参加していた。新しい映画の為にフェドラ、に映画出演交渉を試みる。

フェドラ(マルト・ケラー):
伝説の映画女優。ポーランド出身というだけで、年齢も、素性も謎に包まれている。70歳に近い年齢にも関わらず、妖怪的な若さを誇っている。

その他の登場人物

ソブリャンスキー伯爵夫人(ヒルデガルド・クネフ):フェドラの関係者
バンドー(ホセ・ファーラー):医者、美容外科医、イヤリングをしている
ヘンリー・フォンダ(ヘンリー・フォンダ):本人。アカデミー賞委員長。
マイケル・ヨーク(マイケル・ヨーク):本人役。子供の頃スクリーンのフェドラを観てちびった。
バルファオ夫人(フランシス・スターンハーゲン):イギリス人秘書
クリトス(ゴットフリード・ジョン):運転手
ホテル支配人(マリオ・アドルフ):おせっかい
バリー(スティーヴン・コリンズ):若い頃のダッチ

あらすじ

伝説的な映画女優フェドラが、パリ郊外で列車に轢かれ死亡した。事故なのか自殺なのかは定かでなかったが、40年以上もスクリーンを魅了する謎の美女で、年齢は60歳か70歳にはなるはずにも関わらず美貌は若い頃のまま衰えていなかった。多くのファンが彼女の葬儀に訪れていた。その中に初老のプロデューサー、ダッチの姿があった。ダッチは葬儀会場の桟敷席で葬儀を眺める、フェドラの取り巻きである老伯爵夫人とその息子、秘書のバルフォアと医師であるバンドーを見上げた。ダッチは、2週間前にフェドラに会いに行ったことを後悔していた。自分が会いに行かなければ彼女は今でも生きていたかもしれないと。ダッチは、自身のアンナ・カレーニナを改変した映画にフェドラをキャスティングしたいと、彼女が隠遁しているというコルフ島近郊に到着した。ホテルに着いたバリーは、休む間のなくソブリャンスキー伯爵夫人の居るヴィラ・カリプソに電話をかけたいとホテルの支配人に頼む。ヴィラ・カリプソでは、ダッチからの電話を秘書のバルファオが受け、ダッチは古い友人のフェドラに会いたいと伝えるがここにはいないと切られてしまう。ダッチは単身、孤島にあるヴァラ・カリプソに乗り込んだ。双眼鏡で覗くと、おそらく伯爵夫人であろう車椅子の老女、彼女に読み聞かせする秘書。そこにフェドラと思われる女が現れ伯爵夫人と激しく言い争っていた。結局門を叩いてもフェドラはいないというだけで門前払いされるだけだった。ダッチは何とかフェドラに接触できないかとカフェで考えていると、ちょうどヴィラのクラシックカーが通りかかった。慌てて車を追いかけると、運転手を待たせて秘書のヴァルフォアが車から出てきた。その後目を盗むように身を隠すような服に帽子、サングラスの女が車から飛び出した。ダッチは彼女を追いかけ、店に入るが、女はフィルムを依頼しており受け取ろうとするが店員に現金を持って来いと断られていた。項垂れて帰ろうとする彼女に、ダッチは自分を覚えているかと声をかける。1947年のハリウッドでMGMの助監督をしていた若き日のダッチは、フェドラの映画撮影現場にいた。彼女は思い出しとた言い、ダッチから金を借りてフィルムを受け取り適当に話を合わせて去って行った。諦めきれないダッチはフェドラに宛てて手紙を出すことにし、30年前のフェドラとの思い出を認め始めた。

どんな映画?

名匠ビリー・ワイルダー監督が、自身の映画「サンセット大通り」(1950年)のオマージュ的な作品として製作。主演に「サンセット大通り」と同じく、ウィリアム・ホールデンを迎え、伝説の女優をマルト・ケラーが演じています。

パリで列車に飛び込んだ女性
死亡した彼女は
彼女は伝説の女優フェドラでした。
謎に包まれたフェドラは
恐らく70くらいの年齢にも
関わらずその姿は若く
美しいままでした。

なぜ彼女は歳を取らなかったのか?

フェドラの葬儀には
多くのファンが集まります。
その中に、かつてフェドラと
関わったことがあった
初老の映画プロデューサー
ダッチがいました。
ダッチは自分が2週間前に
フェドラに会いにいかなければ
こんなことにならなかったのに
と後悔していました。

2週間前ダッチは
自分の映画にフェドラを
出演させようと彼女が隠遁している
島に向かいます。
フェドラの周りには
ソブリャンスキー伯爵夫人と
呼ばれる謎の老女と、おばさん秘書
医師のバンドー、運転手がおり
彼女は彼らに常に監視されている
ようでした。

もしやフェドラは 監禁されているのでは?

フェドラのマッパを見てもあくびした若き日のダッチ。いい思い出でした。

ビリー・ワイルダー監督が1950年に発表した「サンセット大通り亅では、そこ頃には実際に忘れ去られていたかつての大女優ノーマ・デズモンドをグロリア・スワンソンが演じ、彼女の怪演に圧倒される名作でした。この頃は、サイレント映画からトーキー映画への転換期に引退を余儀なくされ忘れ去られてしまったスターたちが数多くいた時代で、使い捨てられる映画スターと、いくつになっても美と若さに執着する女優の闇を描いていました。
70年代になりテレビが台頭し、映画が斜陽産業になりつつあった頃に「サンセット大通り」を彷彿とさせる映画に取り掛かった不発続きだったかつての名匠ビリー・ワイルダー監督が、ゴールデンコンビだった脚本家のI・A・L・ダイアモンドとともに製作。当初は、ソブリャンスキー伯爵夫人にマレーネ・ディートリッヒを、フェドラにフェイ・ダナウェイをキャスティングしていたそうですが、お断りされてしまったそう。もしこのキャスティングが成功せしていたらまた違った評価になっていたかもしれません。
結局、ソブリャンスキー伯爵夫人は、ドイツ出身の女優ヒルデガルト・クネフ。ハリウッドではあまり活躍されなかったクネフでしたが、1951年の「罪ある女」でドイツ映画で初めてヌードになった女優としてある意味伝説的な女優さんです。
フェドラを演じたマルト・ケラーのパンチが弱かったところな気がします。絶世の美女であるはずのフェドラのアップシーンがほとんどなく、個人的には、印象が薄くここが非常に残念なところでした。

フェドラには左斜めの口元にホクロがあるのですが、この位置のホクロは、マリリン・モンローを思わせるのですが、モンローのホクロがつけボクロだったことは割と有名なお話でしょうか?あと本当は金髪ではなかったことも。 スター女優になるには、天賦の才能があることは勿論のこと、神秘性はスタジオや映画監督によって作り出されるものなんですねー。そんでもって映画の中でフェドラが、

「スターになるには、
美しく華やかの顔の下に、
強靭な精神力と忍耐力が必要である。」

と述べています。

興行的には成功せず、ビリー・ワイルダー作品としてあまり知られていないと思われる本作ですが、個人的には好きな作品です。葬式で始まり葬式で終わる構成はジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督の「裸足の伯爵夫人」()を思わせますが、スターであることに執着するあまり、全てを犠牲にする女優の生き様はかえって清々しさすら感じさせます。「サンセット大通り」がホラー映画なら、こちらはセンチメンタルなメロドラマで、物悲しいラストはやっぱり「悲愁」何ですね。
あと、ウィリアム・ホールデンのブリーフは見どころです。

スタッフ・キャスト

伝説の女優フェドラを演じたのはスイス出身の女優で、オペラ演出家でもあるマルト・ケラー。1966年にイギリスでガイ・ハミルトン監督、マイケル・ケイン主演のおっちょこスパイ映画「パーマーの危機脱出」にノンクレジットでしたが出演し映画デビュー。1971年のテレビドラマシリーズの「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」では、オリジナルキャラクターであるルパンの愛人役で出演されています。1974年にフランス・イタリアの合作映画、クロード・ルルーシュ監督の「マイ・ラブ」に、ヒロイン役で出演。そこから1976年にジョン・シュレシンジャー監督の「マラソンマン」で、ハリウッド映画デビュー。この映画でダスティン・ホフマンの相手役としてスイス人女性役を演じていました。さらにこの映画では、ゴールデングローブ賞にノミネートされ注目される存在に。翌年に、ジョン・フランケンハイマーの「ブラック・サンデー」(1977年)、シドニー・ポラック監督の恋愛映画「ボビー・ディアフィールド」(1977年)に出演し、アル・パチーノと共演しています。1980年にジョン・G・アヴィルドセン監督のスリラー映画「ジェネシスを追え」で、ジョージ・C・スコットやマーロン・ブランドと共演。それ以後はヨーロッパ映画を中心に活動されています。映画だけではなく、2001年にアビー・マンの戯曲「ニュルベルクの審判」のブロードウェイ版に、1961年にスタンリー・クレイマー監督が同作を映画化した「ニュールンベルク裁判」で、マレーネ・ディートリッヒが演じたベルトホルト夫人を演じています。また、現在ではオペラ監督としても活躍されています。

フェドラの主治医である髭のバンドー医師を演じたのは、プエルトリコ出身、アメリカ合衆国こくで活躍した俳優兼映画監督のホセ・ファーラー。1948年にヴィクター・フレミング監督、イングリッド・バーグマンが主演した「ジャンヌ・ダーク」で、シャルル7世を演じ、1949年にオットー・プレミンジャー監督、ジーン・ティアニー主演のフィルム・ノワール映画「疑惑の渦巻」では、インチキ精神科医を演じています。1950年にマイケル・ゴードン監督、スタンリー・クレイマー制作の恋愛時代劇「シラノ・ド・ベルジュラック」のハリウッド版で、主演の鼻高シラノ・ド・ベルジュラックを演じ、第23回アカデミー賞主演男優賞を獲得しております。その後も、ジョン・ヒューストン監督の画家ロートレックの伝記映画「赤い風車」(1952年)で主演のロートレックを、エドワード・ドミトリク監督の戦争法廷映画「ケイン号の叛乱」(1954年)でハンフリー・ボガートと共演。デヴィッド・リーン監督の大作「アラビアのロレンス」(1963年)、スタンリー・クレイマー監督のドラマ映画「愚か者の船」(1965年)、スチュアート・ローゼンバーグ監督の「さすらいの航海」(1976年)などに出演されています。息子に俳優のミゲル・ファーラーがおり、彼の母親で3人目の妻だった歌手のローズマリー・クルーニーの甥がジョージ・クルーニーです。

まとめ

伝説になれなくて地獄行き

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