死神とチェス「第七の封印」

ドラマ

チェスも将棋もルールがわかりません。

[原題]Det sjunde inseglet
[製作年]1957 [製作国]スウェーデン
[日本公開]1963
[監督・脚本]イングマール・ベルイマン
[撮影]グンナール・フィッシェル
[音楽]エリック・ノードグレーン
[上映時間]97

主な登場人物

アントニウス・ブロック(マックス・フォン・シドー):
十字軍遠征から帰還した騎士。従者ヨンスを連れて故郷に戻る途中”死”が自分を連れに来ていた。

その他の登場人物

(ベント・エケロー):アントニウスを連れに来た死神
ヨンス(グンナール・ビョルンストランド):アントニウスの従者
ミア(ビビ・アンデショーン):旅芸人ヨフの妻
ヨフ(ニルス・ポッペ):旅芸人
ラヴァル(ベティル・アンデルベルイ):元聖職者
少女(グンネル・リンドブロム):ヨンスに同行する。
リーサ(インガ・ジル):鍛冶屋の妻。旅芸人の座長と駆け落ちする。
プローグ(オーケ・フリーデル):鍛冶屋

あらすじ

子羊が第七の封印を開いた時、およそ半時ばかり天に静けさがあった。七つのラッパを持った七人の御使いがラッパを吹く用意をした。
波打ち際で騎士アントニウスは従者ヨンスとともに打ちひしがれていた。10年もの間十字軍の遠征で出兵し命からがら故郷に戻ろうとしていたのだ。そこにアントニウスの前に現れたのは”死”と名乗る死神だった。ずっと彼のそばにいたのだ。アントニウスは死神を前にしてチェスの勝負をしようと持ちかける。チェスの腕前に自身があったアントニウスはその間は猶予ができると踏んだのだ。チェスを始める二人。”死”は黒を選んだ。猶予ができたアントニウスは再びヨンスとともに馬に乗り進み始めた。村では疫病が流行っていると言うヨンス。人がいると思うとすでに物言わぬ遺体であった。一方旅芸人のヨフは朝起きて聖母マリアが幼子の歩く練習をしている幻を見たと妻のミアを起こした。またなのとあきれたように話を聞くミア。夫妻にはまだ幼い子供がおり、子供の将来を楽しみにしていた。アントニウス一行は教会にたどり着いた。ヨンスが入ると中では壁画を描いている男がいた。男は死の舞踏や疫病で醜く爛れた人々を描いており、ヨンスがなぜそんな不吉な絵を描くのかと尋ねると、人々が忘れぬためだと答えた。アントニウスは懺悔がしたいと格子越しに修道士にささやく。自分は今まで何かを求めて生きてきたが、何も見つけられていない。今”死”と直面してい生きた証として何か意味のあることを成し遂げたいのだと。どうやって勝つのかという問いに手の内を打ち明けると、振り向いた修道士は”死”であった。”死”は今夜宿屋で勝負の続きをと言って去っていった。必ず他の手を考えて勝つと誓うアントニウス。外では女が魔女だとして縛りつけられ明日の処刑を前に晒されていた。アントニウスをは女に悪魔を見たのかと尋ねるが女は憔悴に何も答えられたい。そのまま進んだ二人は故郷の村にたどり着いた。しかしそこは閑散としており家の中には遺体が転がっていた。人の気配がしてヨンスが隠れていると遺体から金目の物を剥ぐ男がいた。男がそこにいた少女に何が悪いと威嚇するとその後ろにいたヨンスが、おまえは聖職者のラヴァルだと、ラヴァルは10年前にアントニウスに聖地へ行けと進めた人物だった。10年を無為に過ごしてしまったアントニウスとヨンス。信仰をたてにその実彼らが裕福なことに嫉妬していたのだ。ヨンスは家族を亡くした少女と連れて行くことにした。

どんな映画?

神の不在をテーマに中世の北欧を舞台にした幻想的作品です。1957年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールにノミネートされ、審査員特別賞を受賞し監督のイングマール・ベルイマンを一躍世界的に有名にした映画です。

従者ヨンスとともに波打ち際で横たわる
騎士アントニウス
そこに唐突に現れたのが

カオナシ?!
ではなく”死”を名乗る死神

神の名のもとに十字軍に遠征したあげく
無駄に10年間をすごした上、死ぬのかよ!
アントニウスは死神にチェスで勝負を挑みます。
彼には勝算があったのでした。

一時的に死を免れたアントニウス。
城に戻るべく従者ヨンスと共に
故郷の村に向かいます。

しかし村では伝染病が流行り死体が転がる
まさに世界の終わり。
そんな中出会った旅芸人の家族に
アントニウスはほっこり
一緒に城まで行こうと誘います。

その後身寄りのなくなった少女や妻に逃げられた 鍛冶屋などをパーティーに加えて進む一行

しかし死は確実に追いかけて来て…

死神とチェスをするシーンは超有名

タイトルの第七の封印は新約聖書のヨハネの黙示録から。オープニングとエンディングに使われています。
この映画に登場する騎士アントニウスは、10年もの間十字軍に従軍し故郷に帰ろうとしていました。
おそらく12世紀から14世紀のスウェーデンであった北方十字軍のこと示唆しているのかと思われます。当時バルト海沿岸の周辺の異教徒に対するキリスト教化を目的に派兵され、宗教的意味合いというよりも結局は異教徒の迫害や略奪、殺戮行為に発展し、ただの植民地化のためのもので矛盾に満ちたものになっていたそう。

神の名のもとに送り出された戦いで10年も一体何してたの?

故郷の村に戻ってみると疫病の為そこら辺に転がってる遺体。疫病は黒死病と言われたペストのこと。14世紀のヨーロッパで起こったパンデミックは、どんなに若くても金持ちでも善人でも悪人でも突然理不尽に訪れる死は、生前どんな生き方をしていても結局は何もなかったという死生観生み出しました。それをモチーフにした「死の舞踏」は”死”が様々な職業、身分、年齢の人々を踊らせながら連れて行くというものでした。

アントニウスは”死”とチェスをしてその猶予の間に神の真理を知りたい。神はどこに?自分が生きていた意味とは?

一方”死”が寄り添うアントニウスとは違い、旅芸人の一家は希望と愛情に満ち溢れています。
どんなに先が見えなくても世の中が暗く塞ぎ込んでも希望は必要です。
パンデミックはいつか終わると信じて…

その後の映画に多大な影響を与えたダーク・ファンタジーの傑作です。

スタッフ・キャスト

主演の騎士アントニウス役は若き日のマックス・フォン・シドー。スウェーデン出身のマックス・フォン・シドーは1951年にある府・シェーベルイ監督の「令嬢ジュリー」に端役で出演。その後ベルイマンの「第七の封印」の騎士アントニウス・ブロック役で世界的に知られるようになり、ベルイマン映画の常連となります。同年に「野いちご」(1957年)、「女はそれを待っている」(1958年)、同年「魔術師」、「処女の泉」(1960年)、「鏡の中にある如く」(1961年)、「冬の光」(1962年)、「狼の時刻」(1968年)、「恥」(1968年)など同じくベルイマンの常連だったリヴ・ウルマンとの共演が多かったです。ですが、ホラー映画ファンとしてマックス・フォン・シドーと言えば「メリル神父」と言うくらい、「エクソシスト」(1973年)の印象が強いのではないでしょうか?当時40代だったのにご老人の役でしたが、カトリックの神父役がピッタリ。残念ながら昨年に90歳でお亡くなりになられていますが、老け役を早くからやると晩年まで役がつくとばかりに多くの名作、珍作にご出演されました。

騎士アントニウスに従うヨンスを演じたのはスウェーデン俳優のグンナール・ビョルンストランド。ベルイマンが初めて興行的にも批評的にも成功を収めた「夏の夜は三たび微笑む」(1955年)で主要な人物を演じ、その後はやはりベルイマン作品の常連となります。1978年の「秋のソナタ」ではピアニスト役のイングリッド・バーグマンのマネージャー兼恋人役でちょこっと出演されていました。1982年のイングマール・ベルイマン監督の5時間を超える大作「ファニーとアレクサンデル」ては体調を崩しながらも出演。これが最後の作品となりました。

旅芸人の妻を演じたのはスウェーデン女優のビビ・アンデショーン。世界的に知られるスウェーデンを代表する女優の一人で「夏の夜は三たび微笑む」(1955年)に出演後これまたベルイマン監督作品の常連女優さんとなりました。美しい金髪の美人さんで「野いちご」(1957年)では主人公である教授の想い人を演じています。「仮面/ペルソナ」(1966年)ではリブ・ウルマンと共演しています。1987年に公開されたデンマーク映画「バベットの晩餐会」にスウェーデン人役でちょこっと出演されています。

従者ヨンスが途中で連れて行く少女を演じたグンネル・リンドブロムは、スウェーデンの女優兼映画監督として活躍されていました。「第七の封印」に出演後、同じくベルイマン監督の「処女の泉」(1960年)で異教徒の娘という難しい役を熱演しています。

まとめ

死神と勝負で地獄行き

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