タイトルが放送禁止「気狂いピエロ」

犯罪

今地上波でこの言葉を言うと
お詫びと訂正が入ります。

[原題]Pierrot Le Fou
[製作年]1965[製作国]フランス・イタリア
[日本公開]1967
[監督・脚本・台詞]ジャン=リュック・ゴダール
[助監督]ジャン=ピエール・レオ
[原作]ライオネル・ホワイト
   「Obsession」
[音楽]アントワーヌ・デュアメル
[上映時間]109

主な登場人物

マリアンヌ・ルノワール(アンナ・カリーナ):
フェルディナンの元カノ。5年ぶりに現在は妻子持ちのフェルディナンに再会するが…

フェルディナン・グリフォン(ジャン=ポール・ベルモンド):
愛称ピエロ。金持ちの妻と結婚したが何となくうまく行っていない。元カノマリアンヌと再会するのだが殺人事件に巻き込まれていく。

その他の登場人物

(ジャン=ピエール・レオ): 映画館の若い観客
映画監督(サミュエル・フラー):本人
ラズロ・コヴァックス(ラズロ・サボ): 政治亡命者
ギャング(ハンス・メイヤー)
港の男(レイモン・ドボス)

あらすじ

晩年のベラスケスの話を幼い娘に聞かせるフェルディナン。裕福な妻とはスレ違いであったが、彼女の実家のパーティに参加。ベビーシッターに若い女が来ていた。パーティーには映画監督のサミュエル・フラーがおり、彼に映画とは何かと尋ねると映画は戦場と答える。フェルディナンは面白くもないパーティーで一暴れ。帰宅し終電が終わった頃まだベビーシッターのマリアンヌが残っていた。マリアンヌはフェルディナンの5年前のの恋人だった。車で彼女を送りながら虚しさを話し、彼女の部屋で朝を迎える。しかし、隣の部屋のベッドにはうつ伏せになって血を流して死んでいる男がいた。その後二人で車で逃走。ニースに向かっていたがあまり金は無く、ガソリンスタンドの従業員たちを殴りつける。マリアンヌはフェルディナンを愛称のピエロと呼んだが、フェルディナンと呼べと訂正。車で逃避行を続け、車の事故にあった男女を自分達に見せかけるため火をつけ金を盗んだ。車を捨て逃走したが、途中のガソリンスタンドでかっこいいオープンカーを盗み出発。あてもなく逃げ続ける二人、リヴィエラの海岸に到着。

どんな映画?

当時のアート系映画通がこぞってジャン=リュック・ゴダール監督の10番目の長編映画であり「勝手にしやがれ」(1959年)と並ぶヌーヴェルヴァーグを代表する作品の一つとされています。

裕福な妻と結婚し幼い娘もいるフェルディナンは勤めていたテレビ局も辞めてしまい、妻との関係にも行き詰まりを感じていました。
そんな中乗り気のしないパーティー
に。

このパーティーにいた映画監督が
サミュエル・フラーご本人です。
「映画とは戦場のようなもの」
と答えるセリフが有名ですが、ご本人自身多くの戦争映画を監督。
また、ノワール作品も多く「拾った女」(1953年)、「東京暗黒街・竹の家」(1955年)、「殺人地帯U・S・A」(1961年)、「裸のキッス」(1964年)など監督されています。

パーティーをぶち壊して家に戻るとベビーシッターをしていた元カノ、マリアンヌと再会。
フェルディナンをピエロと愛称で呼ぶマリアンヌでしたが、その愛称は嘲笑われているようで気に入らないフェルディナン。
盛り上がった2人はマリアンヌの部屋へ。

翌朝ナンとそこには男の遺体が!!!?
てゆーかフツーにしている2人。

そこに男が訪れ、何かよくわからないままマリアンヌにライフルを渡され、そのまま勢で一緒に逃げることに。

2人は行き場のない逃走を繰り広げるのですが、果たして2人の行き着く先は…

ダイナマイトを顔に巻きつけるフェルディナン。

ゴダールの映画手法として脚本を当時つまで持たず、役者に多くのアドリブを要求するというもの。
無茶苦茶な展開にもかかわら何となく説得力を持たせること成功しているとは思われますが、役者にとってはたまったもんじゃないのかも。やっぱりプロだったら脚本(ホン)の読み込みや役作りはしておきたいもんでしょう。これに辟易した主演のジャン=ポール・ベルモンドはこれ以後ゴダールと決別したとのこと。
しかし映画は当時の行き詰まった世相を反映したように大ヒットしました。

退屈な人生を犯罪で埋めていく、行き当たりばったり行く先々で死体が発生、それでいて深刻じゃなくポップな展開はまさに地獄行きそのものです♪

スタッフ・キャスト

主演のピエロことフェルディナンを演じたジャン=ピエール・ベルモンドはフランスを代表するスター。フランスではアラン・ドロンを凌ぐほど人気のある俳優さん。1959年に主演したクロード・シャブロル監督の「二重の鍵」と同年にジャン=リュック・ゴダール監督の初の長編映画「勝手にしやがれ」が革命的な評価を受けました。また翌年にはジャンヌ・モローと共演した「雨のしのび逢い」(1960年)やビットリオ・デ・シーカ監督のイタリア・フランス合作映画「ふたりの女」(1960年)でソフィア・ローレンと共演しています。1960年代はアクション映画やフィルムノワールのスターとしての地位を獲得し、「勝負をつけろ」(1961年)、ジャン・ギャバンと共演した「冬の猿」(1962年)、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「いぬ」(1963年)などのノワール作品と、「リオの男」(1963年)、「カトマンズの男」(1965年)、「タヒチの男」(1966年)、「大頭脳」(1969年)などのアクションコメディでも活躍。1970年は同じくフランスを代表する男前アラン・ドロンと共演した「ボルサリーノ」(1970年)を本国で大ヒットさせました。その後も多くのヒット作話題作に出演していらっしゃいますが最近はご病気で中々メディアに登場する機会が減ってしまったようですが、4年くらい前の「世界の果てまでイッテQ!」で登場した時は本当にびっくりしましたね~いやー黒い!まだまだご健在ですね~

ヒロインは監督ゴダールの当時の妻アンナ・カリーナ。残念かどうなのかこの映画が発表された同年に離婚していますが、1960年代前半のゴダールのミューズであり作品製作のインスピレーションの源であったのは確かだと思います。デンマーク出身で17歳の時に移住したパリでスカウトされてモデルへ。その後ジャン=リュック・ゴダールに抜擢され「小さな兵隊」(1960年)に出演。1961年にゴダールと結婚。「女は女である」(1961年)「女と男のいる舗道」(1962年)「はなればなれに」(1964年)「アルファヴィル」(1965年)「メイド・イン・USA」(1966年)とゴダール作品に離婚後も出演。ちょっと好みが別れるかもしれない容姿ですが笑顔に何とも言えない魅力がある女優さんだと思います。個人的には「修道女」(1966年)での急に悪魔が取り憑いたようなヒステリック演技は白眉物です。昨年2019年の12月に79歳でお亡くなりになりました。

助監督として映画に参加し、ちょこっと出演もしているジャン=ピエール・レオは13歳でフランソワ・トリュフォーに見出され「大人は判ってくれない」で鮮烈なデビューを飾り、その後もトリュフォーやゴダールに愛された俳優さんです。

まとめ

悪女と逃走で地獄行き

コメント

タイトルとURLをコピーしました