アウトロー伝説「俺たちに明日はない」

犯罪

今だに「殺人カップル」で検索すると
筆頭に出るのが「ボニーとクライド」です。

[原題]Bonnie and Clyde
[製作年]1967[製作国]アメリカ
[日本公開]1968
[監督]アーサー・ペン
[製作]ウォーレン・ベイティ
[脚本]デヴィッド・ニューマン/ロバート・ベントン
[編集]デデ・アレン
[撮影]バーネット・ガフィ
[音楽]チャールズ・スロラウス
[上映時間]112

主な登場人物

クライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ):
刑務所から出所したての男。刑務作業から逃れる為に自ら足の指を切断している為足が悪い。職業を銀行強盗と言う。

ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ):
テキサスのウェイトレス。クライドに惹かれ着いて行く。2人で銀行強盗を始める。

その他の登場人物

バック・バロウ(ジーン・ハックマン):クライドの兄
ブランチ・バロウ(エステル・パーソンズ):バックの嫁
C・W・モス(マイケル・J・ポラード):途中クライドたちの仲間に加わる少年
ユージン・グリザード(ジーン・ワイルダー):車を盗まれる葬儀屋の男

あらすじ

ボニー・パーカーは1931年の不況時代にウェイトレスとして働いていた。貧農出身のクライド・バロウは、ガソリンスタンドで強盗を働き1931年に刑務所を出所したばかりだった。貧しい暮らしに鬱屈していたボニーは、窓から若い男が親の車を物色しているのを見咎める。男に声をかけると、男は刑務所を出所したばかりだと言う。足を悪くしており、サボる為に自分で足の指二本を斧で切断したと言う。危険な匂いのする男に興味を持ったボニーは、強盗なんて嘘でしょ?とけしかけるとと男はボニーに銃を見せる。雑貨店を襲い金を手にしクライドと名乗った男は、盗んだ車にボニーを乗せ2人で逃走した。車を運転するクライドに迫るボニーだったが、クライドは車を降り自分は女が苦手だと告白する。急激に冷めたボニーが帰ろうとすると、クライドはボニーにこのままダラスで一生過ごすのか?自分と一緒にテキサスからミズーリを股にかけて大きなことをしようと彼女の心を見透かしたように語りかけた。クライドと一緒に行くことを決めたボニー。空き家で一晩過ごし、クライドはボニーに銃の撃ち方を教えていた。そこに元の家の持ち主家族が現れ、この家は銀行に取られて出ていくところだと答えた。クライドは自分を銀行強盗だと言い、持ち主と黒人使用人に銃を渡し、憂さ晴らしに銀行差押の看板に銃を撃たせた。本当に銀行強盗を決めたクライドは、緊張しながらボニーに車で待ってろと伝える。窓口に1人だけいた銀行員に銃を向けるが、この銀行は倒産して一銭もないという。クライドはそれを車にいるボニーに説明させ、逃走するがボニーは笑いが止まらなかった。一文無しのクライドは食料品店で強盗を働くが、店員に襲われ怪我をした上に何も盗めなかった。その後、ガソリンスタンドで働いていた少年院を出たばかりの店員C・W・モスを運転手役に仲間に加えた。いよいよボニーとクライドで銀行を襲撃。しかし待っていたC・W・モスが車を動かしており逃走に手こずり、追いかけてきた銀行員をクライドが射殺してしまう。

どんな映画?

実在の犯罪者カップルをモデルに俳優のウォーレン・ベイティが製作、自ら主演し、アーサー・ペンが監督。アメリカン・ニューシネマの代表的な作品として知られ、エステル・パーソンズがアカデミー賞助演女優賞を獲得しています。

世界大恐慌の1930年代初頭の
アメリカ合衆国テキサス
ウェイトレスのボニーは
車を物色している男を見つけ

それうちの車なんだけど!

男はクライドと名乗り
2人は運命の出会いを果たします!!

強盗の?!!

銃を持っていたクライドに
妙に惹かれたボニーは
2人で盗んだ車で逃走!
車はフォードの4気筒クーペ
途中、ガソリンスタンドで
働いていた小僧を仲間に加え
銀行強盗へ

逃走に失敗し
殺人を犯してしまったクライド
さらにクライドの兄夫婦を
加えて5人になった
ボニーとクライドのギャング団は
強盗を続けながら
逃走し続けるのですが…

銀行強盗に入るクライドの兄バックとクライド、ボニー

ボニーとクライドが入った映画館で上映されていたのは、マーヴィン・ルロイ監督のミュージカル映画「ゴールド・ディーガース」(1933年)です。

この映画は、世界大恐慌時代に彗星の如く現れたシリアルキラーカップル界のカリスマ(?)、ボニーとクライドを元に、当時「草原の輝き」(1967年)で華々しくデビューを飾ったものの仲々これといった作品に出演できていなかったウォーレン・ベイティが製作を担当。結局自分でクライド・バロウを演じ、スターの地位を獲得しました。実在のボニーとクライドは、出会った時にはボニー19歳、クライド20歳だったので、当時30歳ほどのウォーレン・ベイティが演じたため、兄役のジーン・ハックマンや、その妻役のエステル・パーソンズを起用し全体的に実在の人物よりも年齢が上がっています。 1967年の映画公開当時、C・W・モスのモデルになったW・D・ジョーンズや、バックの妻ブランチは生存しており、事件当時20代前半だったブランチを、アラフォーのエステル・パーソンズが演じたことに不満を漏らしたそう。映画の中のブランチは、ワーワー騒いでいるだけで完全に足手纏い感満載でしたが、エステル・パーソンズはこの演技でアカデミー賞助演女優賞を獲得ています。
また、ハリウッドきってのヤリ○ン伝説を持つウォーレン・ベイティが、同性愛者説があるクライドを演じるにあたり、クライドを女性と関係を持てない機能不全に変更したとのこと。映画の最後の不能が治るのも??なのですが、ここも生死を共にするカップルが心も体も結ばれる必要があるとのことで入れられとのこと。この性に関する一連の流れが、それまであった規制やタブーを解放させた映画としても知られています。

ボニーとクライドの事件は、当時の大衆に与えた影響は非常に大きく、アウトローで刹那的な生き方が多くの人を魅了しています。彼らのファンも多く、このように犯罪者に強く惹かれてしまうという性的倒錯を「ハイブリストフィリア」というのですが、別名「ボニーとクライド症候群」として知られております。
実際に残されている写真のボニーとクライドのビジュアルが、若く映画俳優のようだったことも注目を集めた要因だっようです。当時も彼らを時代のヒーローのように扱う支持者がいたそうですが、現実はそんなにかっこいいものではなかったようで、逃走のために殺人を犯す殺人集団であったのは紛れもなく、体もボロボロになりながら逃走しており、ボニーが最後に握っていたのはサンドウィッチだったそうです。

ボニーとクライドを題材にした映画も多数作られており、最初に映画化されたのが、事件の記憶も冷めやらない1937年に製作されたフリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」とされています。また、1949年にジュセフ・H・ルイス監督の「拳銃魔」、ウィリアム・ウィットニー監督の「鉛の弾丸(たま)をぶちかませ」(1958年)などがあります。

バンジョーの軽快な音楽と、ノスタルジックな風景、幸せそうな笑顔と、やってることのクソっぷり。凄惨を極めたラストシーンに心を打たれます。

スタッフ・キャスト

監督はこの映画で一躍アメリカンニューシネマの先駆者となったアーサー・ペン。1958年にポール・ニューマン主演でビリー・ザ・キッドを描いた「左きゝの拳銃」を監督し映画監督デビュー。1962年にはアン・バンクロフトがサリヴァン先生を演じた「奇跡の人」を映画化。この映画でアン・バンクロフトはアカデミー賞主演女優賞を獲得しています。1966年にマーロン・ブランド、ジェーン・フォンダ、ロバート・レッドフォードを主演にした「逃亡地帯」を監督。「俺たちに明日はない」(1967年)を発表後、コメディ映画「アリスのレストラン」(1969年)、ダスティン・ホフマンを主演に「小さな巨人」(1970年)、ミュンヘンオリンピックの公式記録映画「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日」(1973年)、ジーン・ハックマン主演のサスペンス映画「ナイトムーブス」(1975年)、マーロン・ブランド、ジャック・ニコルソンを主演にした西部劇「ミズーリ・ブレイク」(1976年)、「私の名前はジュリア・ロス」のリメイク「冬の嵐」(1987年)などを監督しています。

ボニーを演じたのはアメリカ合衆国の女優フェイ・ダナウェイ。1967年のアンソニー・クリン主演のコメディ犯罪映画「真昼の衝動」でスクリーン・デビュー。同年オットー・プレミンジャー監督の「夕日よ急げ」出演し、映画自体は成功しなかったものの、フェイ・ダナウェイはゴールデングローブ新人賞にノミネートされるなど注目を集め、「俺たちに明日はない」のボニー役を勝ち取り、一気にスターダムを駆け上がります。翌年もノーマン・ジュイソン監督、大スター、スティーブ・マックイーン主演の軽快サスペンス映画「華麗なる賭け」(1968年)にマックイーンの相手役で出演しこの映画も大ヒット。1999年のリメイク版「トーマス・クラウン・アフェアー」にも出演されています。同年にはイタリアでヴィットリオ・デ・シーカ監督の恋愛ドラマ映画「恋人たちの場所」(1968年)でマルチェロ・マストロヤンニと共演。こちらは思ったほどヒットはせず、というか失敗作とみなされ、さらに翌年のエリア・カザン監督、脚本、原作の「アレンジメント/愛の旋律」(1969年)も思ったほど評価を得られませんでした。再びアーサー・ペン監督、ダスティン・ホフマン主演の「小さな巨人」(1970年)で、脇役に回りますがこの役を好演します。1971年にはフランスでルネ・クレマン監督のサスペンス映画「パリは霧にぬれて」に出演。1973年にスタンリー・クレイマー監督、ジョージ・C・スコット主演の「オクラホマ巨人」に出演し、1974年に出演したロマン・ポランスキー監督のネオ・ノワールの傑作「チャイナタウン」で謎の女を非常に魅力的に演じました。また、同年にはオールキャスト・パニック映画「タワーリング・インフェルノ」(1974年)にポール・ニューマンの婚約者役で出演。1975年にシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演のサスペンス映画「コンドル」に出演。1976年にはシドニー・ルメット監督のテレビ業界を風刺した「ネットワーク」にて、アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。同年に、スチュアート・ローゼンバーグ監督の実話を元にした「さすらいの航海」(1976年)に出演しています。その後もアーヴィン・カーシュナー監督のサスペンス映画「アイズ」(1978年)や、ジョン・ヴォイト主演の感動映画「チャンプ」(1979年)などに出演しますが、少しキャリアが低迷してきた頃に血迷ってしまい、物議を醸した問題作「愛と憎しみの伝説」(1981年)に主演。この映画で、往年のハリウッドスター、ジョーン・クロフォードを演じ、針金ハンガーで児童虐待をする様は、第2回ゴールデンラズベリー賞を獲得してしまう不名誉な結果となってしまいます。今ではカルト映画化されていますがネ。その後も「ドーバー海峡殺人事件」(1984年)などに出演。お若い頃は金髪猫目美女だったのですが、お年を召されるごとに怖いお顔になっているような…70代以降でも多くの映画に出演されています。

まとめ

カリスマ的シリアルキラーで地獄行き

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