社内恋愛って秘密にしているようで
二人でいる所誰かしらに
見られていますよね。
[原題]Portrait in Black
[製作年]1960年[製作国]アメリカ
[日本公開]1960年
[監督]マイケル・ゴードン
[脚本・原案]アイヴァン・ゴフ/ベン・ロバーツ
[製作]ロス・ハンター
[撮影]ラッセル・メティ
[音楽]フランク・スキナー
[上映時間]112
主な登場人物
シーラ・キャボット(ラナ・ターナー):
キャボットの後妻。キャボットとの間に一人息子のピーターがいる。キャボットの主治医リベラと不倫関係にある。
デビッド・リベラ(アンソニー・クイン):
キャボットの主治医。キャボットの妻シーラと交際している。
その他の登場人物
ハワード・メイソン(リチャード・ベイスハート):キャボットの部下
キャシー・キャボット(サンドラ・ディー):キャボットの前妻の娘
ブレイク・リチャーズ(ジョン・サクソン):キャシーの彼氏
コッブ(レイ・ウォルストン):キャボット家の運転手
ミス・リー(ヴァージニア・グレイ):キャボットの秘書
タウニー(アンナ・メイ・ウォン):キャボット家の使用人
マシュー・S・キャボット(ロイド・ノーラン):海運王
ピーター・キャボット(デニス・コーラー):シーラの息子
あらすじ
サンフランシスコ港に停泊している「マシュー・S・キャボット号」のオーナーで大富豪のキャボットは、病床にいるにもかかわらず精力的に仕事を行い、年の離れた美しい後妻のシーラに対しても動向に嫉妬深く眼を光らせていた。主治医のリベラはキャボットを診察しながら、スイスの病院に勤務することになった為後任の話を始めた。リベラが帰ると、キャボットはシーラが運転免許を取ったことに憤慨し、運転手のコッブに運転させて一人で車に乗るなと命じた。そんな生活にうんざりしていたシーラは、まだ幼い息子の面倒をメイドのタウニー任せて、運転手のコッブに車を出させた。出かける際、ちょうど前妻の娘キャシーと鉢合わせした。キャシーはシーラの事を内心快く思っていなかった。シーラはデパートの前に着くと、コッブに45分後に迎えに来てと言って中に入るが、裏から出てタクシーを拾った。シーラが向かったのは、キャボットの主治医であるリベラの家だった。二人は不倫関係にあり、シーラはリベラにスイスに行くなんて初耳だ行かないでくれと懇願した。しかしリベラは医者としての立場を利用してキャボットに、空気を注入すれば誰にもわからず殺すことも可能だと、それが怖いとシーラに話す。明日後任を連れて来た後スイスに旅立つというリベラだったが、二人は離れ難く再び抱き合った。翌日リベラがキャボット家を訪れ、シーラは見つめ合いながらキャボットの部屋にリベラを通した。前妻の娘キャシーにはブレイクという船乗りの彼氏がいたが、交際を黙ったままキャボット社と引き船の契約することになったと伝え、ブレイクはキャシーにプロポーズした。そのすぐ後にキャシーは、キャボット社から社長が亡くなったことを知らせを見て驚いた。すぐに葬儀が執り行われ、キャシーはリベラに礼を言った。その夜、うなされていたシーラは、キャボットの部屋に物音がして怯えた。
どんな映画?
この映画は、脚本を担当したアイヴァン・ゴフとベン・ロバーツによる、同名の戯曲を映画化。ラブコメ映画で定評があるマイケル・ゴードン監督し、ラナ・ターナーとアンソニー・クインを主演にした、ノワール系メロドラマとなっております。
サンフランシスコの海運王キャボット
病床に伏せっている割には
まだまだ死ななそうで
年の離れた妻シーラに
嫉妬深くいちいち行動を指示。
ホントうんざりー
そんな時シーラはキャボットの
主治医デビッド・リベラが
スイスに赴任すると聞きます。
シーラは買い物に行こうと玄関に
向かうとちょうど帰って来た
前妻の娘キャシーとばったり
表面上はお上品に対応
内心キャシーも
何かやな女ー
シーラは運転手コップの車で
デパートに到着。
デパートに入るや否や素通りし
裏口からタクシーを拾います。
タクシーで向かったのはリベラの家!
二人は絶賛不倫中!
スイスに行くなんて聞いてない!!
とリベラに縋るシーラ
リベラはこのままでは
医者として誰にもわからないように
キャボットを殺してしまうかもしれない!
という恐怖に駆られていました。
ええ?なになに?わからないで殺せるの?
結局離れられないリベラとシーラ
製作は「心のともしび」(1954年)や「天はすべて許し給う」(1955年)、「悲しみは空の彼方に」(1959年)などダグラス・サークの作品を手がけたロス・ハンター。ロス・ハンターはその後、1970年に「大空港」を大ヒットさせています。
またこの映画は、中国系ハリウッド女優のパイオニア、アンナ・メイ・ウォンの最後の出演映画となりました。この映画ではかつての美貌は無くなり、すっかりおばさんになっていて使用人という役所でした。その後、同じくロス・ハンター製作の中国系アメリカ人の家庭を描いたミュージカル映画「フラワー・ドラム・ソング」で、母親役での出演予定でしたが、念願叶わずお亡くなりになってしまいました。
アンソニー・クインとリチャード・ベースハートは1954年のフェデリコ・フェリーニ監督の名作イタリア映画「道」でも共演していて、こちらの映画でもリチャード・ベースハートはアンソニー・クインに殺されていますねー。
映画の中身ですが、相変わらず悪女になりきれずそんなつもりじゃなかったのにーの立ち位置のラナ・ターナーと、医者として殺人なんて言語道断と思っていたはずが泥沼にハマって項垂れるアンソニー・クインのカップリングがちょっと微妙。
劇中アンソニー・クリンが、診療所の壁に貼ってある「ヒポクラテスの誓い」を反芻し苦悩するシーンがあるのですが、医者の倫理規範を示した文章で、昔のアメリカ人医師が必ず暗唱させらたらしいです。
面白いか面白くないかと言えば、あんまり面白くないのですが、映画自体は当時そこそこヒットした模様です。 意外な(?)脅迫者の正体や、思わず笑ってしまうラストのサンドラ・ディー登場シーンなど見どころはあります。
スタッフ・キャスト
監督はアメリカ合衆国の俳優兼演出家兼映画監督のマイケル・ゴードン。1940年代は主にB級映画やフィルム・ノワール作品を手がけていましたが、1950年に製作スタンリー・クレイマー、ホセ・ファーラー主演で文芸映画「シラノ・ド・ベルジュラック」を監督。この映画でホセ・ファーラーにアカデミー賞主演男優賞をもたらしました。グレン・フォード主演の西部劇「脱獄者の秘密」(1951年)しますが、共産主義者としてブラックリスト入りしてからしばらく活動することはできませんでした。その後、ロック・ハドソンとドリス・デイ主演のラブコメ「夜を楽しく」(1959年)、キム・ノヴァクとジェームズ・ガーナー主演のこちらもラブコメ「プレイボーイ」(1962年)、カーク・ダグラスとミッツィ・ゲイナー主演のラブコメ「恋のクレジット」(1963年)、ドリス・デイとジェームズ・ガーナー主演の名作コメディ「女房は生きていた」(1963年)、レスリー・キャロンとロック・ハドソン主演のラブコメ「すべてをアナタに」(1965年)、アラン・ドロンが初めて西部劇に出演したコメディ「テキサス」(1966年)など、コメディ映画を得意とした監督さんでした。
シーラの愛人医師リベラを演じたのはメキシコ出身の映画俳優アンソニー・クイン。無骨で野生的な風貌で国籍不明な特性を活かし世界的に活躍されました。1936年にセシル・B・デミル監督、ゲイリー・クーパー主演の西部劇「平原児」でインディアン役で出演。同監督の「大平原」(1939年)にも出演。その後もタイロン・パワー主演の「血と砂」(1941年)やエロール・フリン主演の「壮烈第七騎兵隊」(1941年)、エドワード・G・ロビンソン主演の「詐欺請負会社」(1942年)などに脇役ながらなかなか印象深い役所で出演。1952年に出演したエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演の「革命児サパタ」で、主演のマーロン・ブランドが演じたエミリアーノ・サパタの兄でメキシコの革命家ユーフェミオ・サパタを演じこれが非常にハマり役でした。この映画でアカデミー賞助演男優賞を獲得しています。1954年にイタリアでフェデリコ・フェリーニ監督の「道」に主演。また、ソフィア・ローレンと共演したイタリア映画「侵略者」(1954年)に主演しています。1956年にヴィンセント・ミネリ監督のゴッホの伝記映画「炎の人ゴッホ」にゴッホの友人ポール・ゴーギャンを演じ、再びアカデミー賞助演男優賞を受賞しています。その後もJ・リー・トンプソン監督の戦争アクション映画「ナバロンの要塞」(1961年)に出演。リチャード・フライシャー監督のイタリア・アメリカ合作映画「バラバ」(1962年)では、主演のバラバを演じています。同年のデヴィッド・リーン監督の歴史大作映画「アラビアのロレンス」ではハウェイタット族のアウダ・アブ・タイを演じています。マイケル・カコヤニス監督のアメリカ・ギリシャ・イギリス合作映画「その男ゾルバ」(1964年)で、ゾルバを演じています。同年にフレッド・ジンネマン監督の映画「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)に出演。マーク・ロブソン監督の戦争映画「名誉と栄光のためでなく」(1966年)、ガイ・グリーン監督の「怪奇と幻想の島」(1968年)など晩年に至るまで多くの映画に出演された性格派俳優の筆頭です。
まとめ
自作自演で地獄行き
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