砂漠で1人取り残されるなんて
恐怖しかないですね。
[原題]Five Graves to Cairo
[製作年]1943[製作国]アメリカ
[日本公開]1951
[監督・脚本]ビリー・ワイルダー
[製作・脚本]チャールズ・ブラケット
[原作]ラホス・ビロ
「帝国ホテル」
[撮影]ジョン・サイツ
[編集]ドーン・ハリソン
[音楽]ミクロス・ローザ
[上映時間]96
主な登場人物
ジョン・J・ブランブル伍長(フランチョット・トーン):
トブルク包囲戦で生き残ったイギリス軍伍長。ホテル「英国の女帝」で、死亡した給仕のダヴォスになりすます。
マリー・ジャクエリン(アン・バクスター):
ムーシュ、ホテルのメイド、マルセイユ生まれのフランス人。兄弟がドイツ軍の捕虜になっており助け出す機会を伺っていた。
その他の登場人物
エルウィン・ロンメル将軍(エリッヒ・フォン・シュトロハイム):ドイツ軍の陸軍元帥
シュヴェグラー中尉(ペーター・ヴァン・アイク):ロンメルの副官
ファリド(エイキム・タミロフ):ホテルの従業員、両親もエジプト人
セバスティアーノ将軍(フォーチュニオ・ボノヴァ):イタリア軍の将軍。オペラを歌う
あらすじ
1942年6月イギリス軍はロンメル将軍率いるアフリカ隊の前にカイロ、スエズ運河へと敗走を続けていた。砂漠の中一人生き残ったブランブルは、朦朧とする意識の中「英国の女帝」と名付けられたホテルにたどり着く。中に入ったブランブルは、日射病の為幻覚が見えているようでホテルを指令部だと思い込み、ロビーで1人で戦況を話し込む。それを見ていたホテルの従業員のファリドは、メイドのムーシュに水と塩を持って来させるように言う。ファリドはブランブルに、イギリス軍は撤退しここはシディ・ハルファヤのホテルだと伝えるとばったり倒れ込んだ。するとドイツ軍が押し寄せ、ファリドは慌ててブランブルをカウンターに隠した。ムーシュは口紅を塗り直した。そこにロンメル軍の副官シュヴェグラー中尉が、従業員名簿を確認するがここにはファリドとフランス人のメイド、ムーシュしかいなかった。給仕のダヴォスはどうした?と尋ねるシュヴェグラーに、ファリドは空襲に遭って死んだという。カウンターの中で意識が戻ったブランブルは、ドイツ軍が来ていることに気づく。シュヴェグラーはこのホテルをドイツ軍の司令部にすると宣言し、綺麗な部屋は将校用に使用すると言う。次々とドイツ軍が入り込み、カウンターに無線機を設置する。ヒヤヒヤするファリドだったが、ブランブルは、カウンターにしがみつきバレないように隙を見て逃げて行った。うまく逃げられたと思ったファリドとムーシュだったが、2階のスタッフルームに入って行くブランブルを見つける。ブランブルは勝手に、軍服から部屋にあった服に着替えていた。ファリドは、すぐにドイツ軍の将校が来てしまう出て行ってくれと話すが、どちらにせよ逃げきれないと言うブランブル。今着ている服と靴の持ち主を尋ねると、空襲で死んだ給仕ダヴォスのものだと言う。ブランブルはダヴォスになりすますことにして、イギリス軍が戻るのを待つという。フランス人のムーシュは、ダンケルクの戦いで2人の兄が酷い目に遭ったのだとイギリス軍を恨んでいた。ドイツ軍に差し出すというムーシュに、ブランブルは少し待ってくれと伝え妻子に遺言と言った瞬間、扉が開きシュヴェグラーが入って来た。その男は誰だと尋ねるシュヴェグラーに、ムーシュは給仕だと伝えた。ダヴォスは死んだはずだというシュヴェグラーに、実は生きており砂の中に埋まっていたのを助け出したのだと話た。ダヴォスが生きていたと知ったシュヴェグラーは、安堵したようだった。実はダヴォスは軍隊から密命を受けていたスパイだったのだ。
どんな映画?
ハンガリーの小説家、劇作家であるラホス・ビロの戯曲を、第二次世界大戦次のカイロに舞台を移しビリー・ワイルダーが監督し映画化。フランチョット・トーンが主演し、後にジョーセフ・L・マンキーウィッツ監督の「イヴの総て」(1950年)の出演で有名になるアン・バクスターがヒロイン役で出演されています。
1942年の6月にドイツ軍ロンメル軍団が
イギリス軍をエジプトまで追撃
イギリス軍は敗走を余儀なくされ
戦車乗組員であるブランブル伍長は
ただ1人生き残っていましたが
ほぼ瀕死の状態。
なんとか砂漠のホテル
「英国の女帝」
にたどり着きますが
そこでばったり倒れ込みます。
ホテルのファリドはドイツ軍が
乗り込んでくる前に慌てて
ブランブルを隠します。
フランス人メイドのムーシュは傍観
乗り込んできたシュヴェグラー中尉は
名簿で従業員を確認
給仕のダヴォスはどうしたと
尋ねると、
ファリドは空襲で亡くなったと
正直に話します。
中尉はこのホテルを
ドイツ軍の司令部にすると決定。
やって来たのは「砂漠の狐」こと
エルウィン・ロンメル将軍
ブランブルは死んだ給仕ダヴォスに
なりすますことに。
話を合わせたファリドとムーシュ
実はダヴォスはドイツ軍のスパイで…
ロンメルに糾弾されるムーシュを庇おうとするダヴォス(になりすましたブランブル)
なんせ1943年に製作された映画であって、第二次世界大戦時北アフリカ戦線において武功上げ、「砂漠の狐」と称されたドイツの元帥エルヴィン・ロンメルを敵役として、オーストリア出身の映画監督、俳優のエリッヒ・フォン・シュトロハイムが怪演しております。
原題は「Five Graves to Cairo」で、直訳するとカイロの5つの墓となります。この映画は、1942年の6月にロンメル元帥とアフリカ軍団がトブルクが占領され、その後に続くイギリス軍含む連合軍のエル・アラメインの戦いの前日譚となる物語で、主人公のイギリス軍伍長がドイツ軍補給地の謎を解く、戦争ミステリー映画となっております。
当初ビリー・ワイルダー監督は、主人公をイギリス人俳優のケーリー・グラントを希望していたようですが断られてしまい、アメリカ人俳優のフランチョット・トーンが演じています。
1926年の「帝国ホテル」のリメイクに当たりますが、こちらは第一次世界停戦中のオーストリア=ハンガリー帝国を舞台にしており、ポーランド出身の女優ポーラ・ネグリがメイド役を演じました。このポーラ・ネグリは、ビリー・ワイルダー監督が「サンセット大通り」の主演をオファーされますが断っていて、その後の「悲愁」(1979年)でモデルの1人とされています。
主人公よりも、アン・バクスターが演じたムーシュの命懸けの演技が印象的な映画です。
スタッフ・キャスト
脚本・製作を担当したのはアメリカ合衆国の脚本家、映画プロデューサーのチャールズ・ブラケット。ビリー・ワイルダー監督とは16本の映画でタッグを組んだことで知られています。また、同監督の「失われた週末」(1945年)と、「サンセット大通り」(1950年)ではアカデミー賞脚色賞を獲得しています。また、その後もジーン・ネグレスコ監督の「タイタニックの最期」(1953年)でもアカデミー賞脚本賞を獲得しています。1938年にエルンスト・ルビッチ監督、クローデット・コルベール、ゲイリー・クーパー主演のロマンティック・コメディ映画「青髭八人目の妻」で、脚本を担当。翌年にもミッチェル・ライゼン監督、クローデット・コルベール主演のコメディ映画「ミッドナイト」(1939年)で脚本を担当しています。同年脚本を担当した、エルンスト・ルビッチ監督、グレタ・ガルボ主演のコメディ映画「ニノチカ」(1939年)では、ガルボが初めて笑った映画として知られています。ミッチェル・ライゼン監督、レイ・ミランド・クローデット・コルベール主演のメロドラマ「囁きの木陰」(1940年)、ハワード・ホークス監督、ゲイリー・クーパー、バーバラ・スタンウイック主演のコメディ映画「教授の美女」(1941年)、ビリー・ワイルダー監督、ジンジャー・ロジャース、レイ・ミランド主演のロマンティック・コメディ映画「少佐と少女」(1942年)などで脚本を担当しております。また、ビリー・ワイルダー監督の「熱砂の秘密」(1943年)では、脚本の他に製作も担当。1944年のレイ・ミランド主演のロマンティック・ホラー映画「呪いの家」では、製作を担当しております。ビリー・ワイルダー監督、レイ・ミランド主演のアカデミー賞受賞作「失われた週末」(1945年)では、製作・脚本を担当しアカデミー賞脚色賞を獲得しています。1948年にはビリー・ワイルダー監督の戦後間もないのドイツが登場する「異国の出来事」では、製作・脚本を担当しております。その後ビリー・ワイルダー監督とタッグを組み、「皇帝円舞曲」(1948年)、伝説的妖怪映画「サンセット大通り」(1950年)の製作・脚本を担当しております。また、マーク・ロブソン監督、ファーリー・グレンジャー主演の犯罪映画「恐怖の一夜」(1950年)の脚本、ジーン・ネグレスコ監督のパニック・メロドラマ「タイタニックの最期」(1953年)、ヘンリー・ハサウェイ監督、マリリン・モンロー主演の観光サスペンス映画「ナイアガラ」(1953年)の製作・脚本を担当されています。1958年には生涯功績により、アカデミー賞名誉賞を受賞しております。
ドイツ軍シュヴェグラー中尉を演じたのは、ドイツ系アメリカ人俳優のペーター・ヴァン・アイク。現在のポーランドで生まれ、1930年代にアメリカに渡りオーソン・ウェルズ・マーキュリー劇場で助監督として働き、その後1943年にハリウッドでビリー・ワイルダー監督の「熱砂の秘密」に、ドイツ軍兵士役で出演。同年に、ダグラス・サーク監督の「ヒットラーの狂人」(1943年)ではノンクレジットですが、ゲシュタポ役で出演してます。また、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演のアメリカ映画「逃亡者」(1944年)に出演しております。戦後はドイツに戻りロバート・シオドマク監督のフランス映画「外人部隊」(1953年)に出演。同年には代表作の一つとなるアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の名作サスペンス映画「恐怖の報酬」(1953年)で4人の主演の1人を演じて世界的に知られる存在となりました。1955年にはオーソン・ウェルズ監督の「秘められた過去」にも、密輸組織の大物役で出演されています。同年、アメリカのフィルムノワール「暗黒の叫び」(1955年)や、ロバート・アルドリッチ監督、ジャック・パランス主演の戦争映画「攻撃」(1956年)に出演しております。また、ドイツでフリッツ・ラング監督による1933年の「怪人マブゼ博士」の続編的映画として「怪人マブゼ博士」(1960年)で、刑事役と主要な役で出演。別監督ではありますが「怪人マブゼ犯罪指令」(1962年)や、「怪人マブゼ博士・殺人光線」(1963年)にも出演されています。1962年のオールスター戦争映画「史上最大の作戦」でもドイツ人中佐役で出演しています。また、イギリスのスパイ映画「寒い国から帰ったスパイ」(1965年)にも出演されています。残念ながら50代後半で怪我が元でお亡くなりになっています。
まとめ
戦争被害はいつも女子どもで地獄行き
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