むかーし世界中を旅する
某恋愛リアリティ番組に
出ようかと血迷ったことがあります。
[原題]They Shoot Horses, Don’t They?
[製作年]1969[製作国]アメリカ
[日本公開]1970
[監督]シドニー・ポラック
[原作]ホレス・マッコイ
「彼らは廃馬を撃つ(They Shoot Horses, Don’t They?)」
[製作]ロバート・チャートフ/アーウィン・ウィンクラー
[脚本]ジェームズ・ポー/ロバート・E・トンプソン
[撮影]フィリップ・H・ラスロップ
[編集]フレドリック・スタインカンプ
[音楽]ジョニー・グリーン
[上映時間]120
主な登場人物
グロリア・ビーティー(ジェーン・フォンダ):
売れない女優。ダンス・マラソン大会に出場しようとするが、パートナーが出場できず、急遽そばにいたロバートと参加する。
ロバート・シルバトン(マイケル・サラザン):
たまたまいた若者。成り行きでグロリアのパートナーとなり、ダンス・マラソン大会に参加する。
その他の登場人物
ロッキー・グラボ(ギグ・ヤング):大会の主催者、司会
アリス・ルブラン(スザンナ・ヨーク):イギリス人女優、精神錯乱に陥る
ハリー(レッド・バトンズ):元水兵
ルビー・ベイツ(ボニー・ベデリア):妊婦
ジェームズ・ベイツ(ブルース・ダーン):ルビーの夫
マックス(アート・メトラーノ)
レイドン夫人(マッジ・ケネディ):グロリアのスポンサー
ジョエル・ジラード(ロバート・フィールズ):アリスのパートナー
あらすじ
世界大恐慌真っ只中のアメリカで、ダンス・マラソン大会が開催されると言う。参加条件は、死亡しても責任を問わないと言う契約書にサインすることだった。この契約書と交換に参加番号を渡される。競技に時間制限はなく最後の一人になるまで続けられ、2時間に10分。両膝をついたら即失格。審判の決定が絶対で、もしパートナーが失格になった場合24時間以内に別のパートナーが見つからなければ失格。食事は1日4回軽食が3回。医者と看護師が常駐すると言う。大会開催2時間前には多くの参加者が並んだ。ロンドンから来た女優だという金髪のアリスは合格。グロリアはパートナーの気管支炎が不合格だと判定されて出場を断られる。どうしたら参加できるのかと主催者のロッキーに食ってかかると新しいパートナーと組む事だと言い、たまたまそこにいたロバートに声をかけ、ロバートは成り行きでグロリアと大会に参加することになってしまう。大会が始まり、ダンスが始まる。最後の一組になるまで延々と続けられ、優勝者が1500ドルの賞金を獲得する。ダンスをしながらロバートは、グロリアにカルフォルニアには何しに?と尋ねると、カルフォルニアには映画会社が多いからと答えた。グロリアは女優志望だがもらえる役はエキストラのようなチョイ役ばかりだと言う。皆んながゆっくり踊る中、老水兵のハリーが一人飛び出し軽快なステップを披露して観客を沸かせた。すかさず司会のロッキーはハリーが先の大戦で負傷したことを暴露し観客から同情を買った。ロバートはグロリアに話しかけるが、仏頂面のグロリアは愛想なく答えた。
どんな映画?
「明日に別れの接吻を」などのノワール小説の作家として知られるアメリカのホレス・マッコイが、1935年に発表した小説「彼らは廃馬を撃つ」を、シドニー・ポラック監督が映画化。アカデミー賞に9部門ノミネートされ、ギグ・ヤングがアカデミー賞助演男優賞を獲得しています。
大恐慌で不況ど真ん中のアメリカで
ダンス・マラソン大会が
開催されるとのこと。
参加条件は死んでも訴えない
という契約書にサインし
ルールは2時間で10分の
休憩、1日7回の食事
最後まで踊り続けたカップルが
賞金を受け取るというものでした。
ダンスに自信がある元水兵のハリー
スターになりたい女優のアリス
妊婦のルビーなど
それぞれの思惑で参加
売れない女優のグロリアも
一攫千金と仕事にありつこうと
参加者の列に並びますが
相方が失格に
参加できないピンチに
プロモーター兼司会のロッキーは
近くにいたロバートに声をかけ
グロリアと組ませることに
成り行きで参加することになった
ロバートは踊りながら
グロリアと打ち解けようと
話しかけますが
仏頂面のグロリアはロバートに
つっけんどん
大会は続き次第に疲弊し
ゾンビと化す参加者たち
そんな中アリスは自分が持ってきていた
キラキラドレスが盗まれたと
訴えるのですが…
参加者を振り落とすためにホールを回るダービーレースが。
ダンスどこ行った?
この映画は、1930年代にアメリカで熱狂的に流行ったダンス・マラソン大会(またはマラソン・ダンス)を題材に、人々の狂気と絶望を映画いているウツ映画の秀作です。惜しいのは邦題で、スポ根青春ものか?くらいに思えてどんな映画かピンとこないこと。原題は「彼らは廃馬を撃つでしょう?」とラストを示唆するタイトルとなっております。
ダンス・マラソンは世界恐慌下のアメリカで、賞金目当てに参加するカップルとそれをショーのように見せて観客から金を取るビジネススタイルとして確立され、リアリティー番組のように演出が徐々に過激になり実際に死者も出てしまったことにより、まるで不況の終わりを告げるように30年代後半には急激に廃れたそうです。現在では、大学のチャリティー的な催しとして健全に行われているそうです。
この映画で登場する女優のアリスやパートナーの売れない俳優のように、大会に参加してスカウトのチャンスを狙うカップルも実際いたそうです。映画の中でゲストとして大物監督のマーヴィン・ルロイが登場しています。マーヴィン・ルロイは1931年にエドワード・G・ロビンソン主演のギャング映画の傑作「犯罪王リコ」で一躍有名になった映画監督さんで、カルト映画「悪い種子」(1956年)の監督でも知られています。
主演のグロリアを演じたのは、常に不機嫌で暗い表情のジェーン・フォンダ。若い頃のヨーロッパ的な金髪美人から一変して疲れて薄汚れたアメリカンニューシネマ的な演技で新境地を発揮。70年代には政治活動に傾倒し、当時の夫であったロジェ・ヴァディムとも離婚。ですが「コールガール」(1971年)と「帰郷」(1978年)でアカデミー賞主演女優賞を獲得。キャリアの頂点に達します。
ボニー・べデリアが演じた妊婦のルビーが歌っていたのは「The best things in life are free」で、1930年のミュージカル映画「Good News」の楽曲になります。このfreeは自由ではなく、タダという意味で、人生で一番大切なものは無料という、金銭至上主義を諌める格言です。映画ではこの歌を歌ったルビーがすぐにおひねりかき集めたのは何とも皮肉ですネ。この頃若干20歳のボニー・べデリアでしたが、こののち「ダイ・ハード」シリーズでジョン・マクレーンの妻役で知られるようになります。また、マコーレ・カルキンの叔母さんです。
これは競技じゃないのか?というロバートに、主催者のヒヒ親父ロッキー演じるギグ・ヤングはキッパリ答えます。
「客はボロボロで惨めなお前らを見たいだけなんだよ」
人の不幸は蜜の味ばりに、死人が出ても終わらないデスレースに、ショービジネスの恐ろしさを予見している名作です。
スタッフ・キャスト
突然ダンス・マラソン大会に参加することになったロバートを演じたのはカナダ出身の俳優マイケル・サラザン。1967年にジョージ・C・スコット、スー・リオン主演の「恋とペテンと青空と」に出演。翌年、ハーヴェイ・ハート監督の「甘い暴走」(1968年)に出演。この映画ではジャクリーン・ビセットと共演しております。その後、「テキサスの七人」(1968年)や「星のない用心棒」(1969年)などの西部劇に出演。1969年に異色猫サスペンス映画「猫」に主演。そして同年出演した「ひとりぼっちの青春」(1969年)での演技は高く評価され、英国アカデミー賞新人賞にノミネートされるなど自身の代表作となりました。その後もロバート・マリガン監督の青春映画「幸せを求めて」(1970年)や、「さらば青春の日」(1971年)などに主演しておりますが、前作ほどの評価は得られず次第に脇に回るように。ジェームズ・コバーン主演のスリ映画「黄金の指」(1973年)や、ピーター・イェーツ監督、バーバラ・ストライサンド主演の「またまたおかしな大追跡」(1974年)に出演しますが、こちらは1972年のピーター・ボグダノヴィッチ監督のヒットコメディ「おかしなおかしな大追跡」とは関係なく評価もイマイチでした。1975年に個人的には好きな映画「リインカーネイション」に主演しており、この映画ではマーゴット・キダーにオールで殴られる役(?)を熱演されております。2011年に70歳でお亡くなりになられています。
スター女優を目指して大会に参加し、着衣シャワーのアンナを演じたのは、イギリスの女優スザンナ・ヨーク。1960年にアレック・ギネス、ジョン・ミルズ主演の映画で映画デビューし、翌年ケネス・モアとダニエル・ダリューと共演した「女になる季節」(1961年)に出演。また、ジョン・ヒューストン監督、モンゴメリー・クリフトと共演した「フロイド/隠された欲望」(1962年)に出演。1963年にトニー・リチャードソン監督の「トム・ジョーンズの華麗な冒険」に出演されています。また、フレッド・ジンネマン監督の歴史名画「わが命つきるとも」(1966年)では、トマス・モアの娘役を演じています。世界的にも知られる存在となり、1968年にはロバート・アルドリッチ監督のビアン映画「甘い抱擁」に、こちらもアリス役で出演されています。「ひとりぼっちの青春」(1969年)ではアカデミー賞助演女優賞にノミネートされるなど可愛らいし容姿だけではなく、迫真の演技が話題を呼びました。その後も、イギリスでデルバート・マン監督の「ジェーン・エア」(1970年)で主演のジェーン・エアを演じ、ロバート・アルトマン監督の「イメージズ」(1972年)では次第に狂気に陥る主婦を演じ、この演技でカンヌ国際映画祭女優賞を獲得しています。1978年にサスペンス映画「サイレント・パートナー」に出演し、同年リチャード・ドナー監督の「スーパーマン」(1978年)ではスーパーマンの産みの母役で出演されています。2011年に72歳でお亡くなりになられています。
まとめ
死んでも終わらないデスレースで地獄行き
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