デブラは迷子「シェルタリング・スカイ」

ドラマ

海外で迷子になる程
怖いことはないですネ。

[原題]The Sheltering Sky
[製作年]1990[製作国]イギリス・イタリア
[日本公開]1991
[監督・脚本]ベルナルド・ベルトルッチ
[脚本・原作]ポール・ボウルズ  
      「極地の空」
[脚本]マーク・ペプロー
[製作]ジェレミー・トーマス
[製作総指揮]ウィリアム・アルドルッチ
[音楽]坂本龍一他/リチャード・ホロウイッツ
[撮影]ヴィットリオ・ストラーロ
[上映時間]138

主な登場人物

キット・モレスビー(デブラ・ウィンガー):
劇作家だが最近作品を発表していない。結婚10年経つ夫ポートとアフリカを旅していくが。

ポート・モレスビー(ジョン・マルコヴィッチ):
キットの夫、作曲家。実質無職。

その他の登場人物

ジョージ・ターナー(キャンベル・スコット):アメリカ人ビジネスマン、パーティーのホスト
エリック・ライル(ティモシー・スポール):イギリス人旅行者
ライルの母(ジル・ベネット):エリックと旅行している
カフェでキットに声をかける老人:(ポール・ボウルズ)

あらすじ

1947年、結婚して10年になるキットとポートの夫婦がニューヨークから北アフリカに旅行に来る。途中知り合った若い旅行者ターナーと道ずれにな行動を共にするようになる。夫婦はまともな仕事を持たず、ターナーもビジネスマンと言いつつ実態はパーティーのホスト役と実業と言えるものではなかった。入国の際、滞在期間を聞かれターナーは3~4週間、自分達は1、2年だと話す。夫妻はしっかりとした生活基盤を持たず、時間の流れに無関心な致命的なミスを犯していた。駅の待合所のカフェでポートはターナーに夕べ自分が見た夢の話を始める。キットは拒否反応を示したが、構わずポートは続けた。汽車で旅をしていてるが、そのうちその汽車がシーツの山に激突。衝突するとわかっているがそれを避けるには、自分が叫べばいい。しかしすでに自分で自分の歯をへし折っていて間に合わなかったと。その話に過剰反応したキットは泣きながらその場を立ち去った。ポートは彼女は全て何かの予兆につなげるのだと笑った。キットはすぐに戻って笑っていた。彼らに母親と旅行に来ていた中年男エリックが小銭を貸してくれと声をかけてきた。エリックは酒をやめられなかった。夫妻はグランドホテルに宿泊していたが、キットはポートにターナーは若くてハンサムでリッチだが、信用できないと同行することに難色を示していた。そのままポートは一人でホテルを出て行きあてもなく歩き続けた。そこに怪しい男がポートに近付き誘われるまま、売春用のテントに入って行った。女に財布を奪われそうになり逃げ出すが、男たちに追いかけられる。翌朝ターナーの呼びかけで目を覚ましたキットだったが、ポートはまだホテルに戻っていないことに気づき、誤魔化そうとするがターナーに見透かされていた。

どんな映画?

1949年にアメリカ人小説家ポール・ボウルズが発表したベストセラー小説「極地の空」を、ベルナルド・ベルトルッチ監督が映画化。

アフリカ、アルジェリアの第二の港町
オランに到着したのは キット、ポート夫妻と若い男ターナーの
3人のアメリカ人
おそらく戦後初の観光客だと言うターナーに対し
キットは私たちは観光客ではなく旅行者だと述べます。

結婚10年を迎えた夫婦 妻キットと夫のポート
二人にはきちんとした職業がないにもかかわらず何だが裕福そう。
アフリカには1、2年も滞在するそう。
そこに若い男ターナーと
イギリス人親子の旅行者も時折
加わりサハラを目指して旅を進めていきます。

しかし、彼らの旅は次第に過酷なものとなっていき…

地平線の彼方に広がる美しい空。
ポートは自分達を守るシェルターのようだと語るのですが…

この映画は、公開当時評価は高かったものの興行的には失敗しています。 ですが、ベルナルド・ベルトルッチ監督お得意の映像美に圧倒されます。

キットとポートの夫婦は結婚10年が経ち倦怠気味。夫婦であるのにもかかわらず、一緒にいればいるほど孤独を感じてしまう二人。キットはポートは自分がいなくても生きていけるだろうと言います。子供もおらず、愛情のみでつながっている二人は永遠を語りながらも、いつ終わってしまうかもしれない恐怖も同時に孕んでいる。 同じ方向を向いていない二人は、気持ちが迷走し、目的地のない旅をしているよう。 毎日何も考えないで遊んでいるようなセレブたち、その実物凄い不安感に苛まれているのかもしれません。

実は、この映画で最も印象的なのが、ラストに登場する原作者のポール・ボウルズ。もう老境の域に達していると言える風貌なのに、青く澄んだ瞳から止めどなく流れる涙。 「迷ったんだね」 の言葉が胸を突く映画です。

スタッフ・キャスト

監督のベルナルド・ベルトルッチはイタリア出身。1962年にイタリアの奇才映画監督ピエロ・パオロ・パゾリーニの原案である「殺し」で長編映画監督デビュー。1968年には文豪ドストエフスキーの「分身」を現代にアレンジした「ベルトルッチの分身」を製作。この映画ではルイス・ブニュエル監督の「昼顔」(1967年)に出演していたピエール・クレマンティが主演しています。また1970年に自身の初期の代表作でもある「暗殺の森」でもピエール・クレマンティを出演させています。1972年にマーロン・ブランド、マリア・シュナイダー主演で「ラスト・タンゴ・イン・パリ」で、公開当時激しい性描写で話題になりました。その後、ノーカット版は316分という5時間を超える大作のイタリアを舞台にした大河ドラマ「1900」(1976年)や、「ルナ」(1979年)を発表。1987年に中国清王朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀をモデルに映画化された大作「ラストエンペラー」を製作。この映画でジョン・ローンが溥儀を演じ世界的に知られる存在となり、アカデミー賞作品賞を受賞しています。また、「シェルタリング・スカイ」で音楽を担当した坂本龍一が、日本の軍人甘粕正彦を演じています。1990年代以降はリヴ・タイラー主演の「魅せられて」(1996年)や、「太陽と月に背いて」(1995年)にも出演していたデヴィッド・シューリスとタンディ・ニュートンが共演した異人種ラブストーリー「シャンドライの恋」(1998年)、エヴァ・グリーンのヌードが印象的な「ドリーマーズ」(2003年)などを製作。2018年に77歳でお亡くなりになりました。

主演のキットを演じたのはアメリカ人女優のデブラ・ウィンガー。1982年にヒロインを演じた「愛と青春の旅立ち」で大ブレイク。リチャード・ギア演じる士官候補生と恋愛関係になる工場勤務の女性を演じ、ラストのお姫様抱っこは青春映画の決定版ですね。続いて翌年の1983年にアカデミー賞作品賞を受賞した「愛と追憶の日々」でシャーリー・マクレーンの娘役を演じました。この映画ではアカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。その後、ロバート・レッドフォード主演のサスペンス映画「夜霧のマンハッタ」(1987年)、テレサ・ラッセルと共演した「ブラック・ウィドー」(1987年)、コスタ=ガヴラス監督の「背信の日々」(1988年)などに出演。順調に女優としてのキャリアを重ねていたように見えたのですが、1990年代から家庭生活を優先し中断。華々しいキャリアをスパッと捨てられたことに注目したのは女優兼映画監督のロザンナ・アークエット。彼女は、2002年に女優とはどうやって生きていくのかの模索を、デブラ・ウィンガーだけでなく多くの有名女優たちをインタビューしたドキュメンタリー映画「デブラ・ウィンガーを探して」を発表しています。その後デブラ・ウィンガーは女優に復帰しています。

夫婦の道連れとなる若い男ターナーを演じたのがキャンベル・スコット。名優ジョージ・C・スコットと、女優コリーン・デューハーストの息子としても知られ、1991年にケネス・プラナー監督の「愛と死の間で」に出演。同年に「愛の選択」でジュリア・ロバーツと共演。1997年にはデヴィッド・マメット監督のサスペンス映画「スパニッシュ・プリズナー」に主演しています。

マザコン旅行者を演じていたのはイギリスの俳優ティモシー・スポール。ハリー・ポッターシリーズでネズミ男のピーター・ペティグリューを演じていることで知られています。 また、ちらっと登場する女性役にロベルト・ベニーニ夫人としても知られ、ベニーニ監督・主演の名作「ライフ・イズ・ビューティフル」(1998年)では妻役を演じたことで世界的に知られています。

まとめ

目的が見えずに地獄行き

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