妻と愛人がそっくりだったりすると、
浮気することないのにって思うのですが、
やっぱりより若い方がいいってことなんスかね?
[原題]La curee
[製作年]1966[製作国]フランス・イタリア
[日本公開]1967
[監督・製作・脚本]ロジェ・ヴァディム
[脚本]ジャン・コー
[原作]エミール・ゾラ
「獲物の分け前」
[撮影]クロード・ルノワール
[編集]ヴィクトリア・メルカントン
[音楽]ジャン・ブシェティー/ジャン・ピエール・ブルテール
[上映時間]102
主な登場人物
ルネ(ジェーン・フォンダ):
アレクサンドルの若く美しい妻。愛のない結婚生活を送る有閑ブルジュア妻。
マキシム(ピーター・マケナリー):
ルネの義理の息子。遊んでいる大学生。
その他の登場人物
アレクサンドル・サッカール(ミシェル・ピコリ):ルネの夫
アン・セルネット(ティナ・オーモン(ティナ・マルカン名義)):金持ちの娘、マキシムと婚約
セルネット氏(ジャック・モノ):アンの父親
あらすじ
豪邸に暮らす若く美しい人妻ルネは、年の離れた夫と22歳の大学生の義理の息子マキシムと暮らしていた。金持ちの道楽息子のマキシムは、それ程年の離れていないルネを、母親と言うよりも姉のように接していた。ルネは資産家の令嬢だったが、家を出たいがために持参金を目当てに近寄ってきた夫と愛のない結婚をした。好き勝手を決め込み気ままに生活し、大学生のマキシムと戯れる毎日。そんな中、ルネはとうとうマキシムと一線を超えてしまう。一度関係を持ってしまうと、堰をきったようにルネはマキシムに夢中になってしまう。そのうち夫の知るところとなり、ルネは意を決して離婚を切り出す。
どんな映画?
この映画は、1871年に発表されたエミール・ゾラの小説を現代のフランスに舞台を移して映画化。フランスの映画監督ロジェ・ヴァディムが監督し、当時の妻であるジェーン・フォンダが主演しております。
若く美しい人妻ルネは、
自分を持て余していました。
実家から出たいあまりに、
だいぶ年の離れたおっさんと
愛の無い結婚をしてしまったのです。
自業自得と言ってしまえば
それまでなのですが、
親が厳しかったりする若い娘さんには
よくあるお話。
金はあって暇だらけのルネは
美への追求に余念がありません。
さすが、エアロビビデオを
出してヒットさせたことのある
ジェーン・フォンダだけあって
レオタード姿も披露!
そこに、何かとちょっかいを
かけてくるのが義理の息子
マキシムでした。
ハゲてくたびれたかんじの
夫アレクサンドルと違い、
大学生で若く男前で、
軽いノリのマキシム。
ある日、ジンギス=カンの仮装を
したマキシムといちゃついている間に
関係を持ってしまいます。
そこから不倫に溺れてしまうルネ。
マキシムの行動に拗ねたり嫉妬したりと
徐々に重たい女に変貌していきます。
ルネは夫アレクサンドルに
離婚を迫りますが、
金は払えない財産をすべて放棄するなら
離婚してもよいと半ば脅迫的に
ルネに言い放ちます。
アレクサンドルもルネの
財産目的の結婚だったのです。
ルネはそれでもいいと
離婚に応じてもらったのですが…
自宅内の温室で逢瀬を重ねる二人
監督のロジェ・ヴァディムはフランスの映画監督。また、ブリジット・バルドー、アネット・ヴァディム、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダ、マリー=クリスティーヌ・バローなど歴代の妻や恋人が世界的に有名な美人女優たちであったことでも知られるお方。 そんな監督が、前年に結婚したジェーン・フォンダが主演をつとめ、美しいヌードを披露。1968年の同じくロジェ・ヴァディムが監督した珍作映画「バーバレラ」でも、オープニングでジェーンがストリップティーズを披露しております。監督とは1967年の「世にも怪奇な物語」の1話目でも合作しておりとにかく映画の中で妻を脱がすのがお好きなようでしたが、1973年に離婚されています。
公開当時、大胆に脱いだジェーン・フォンダの裸体が話題を呼び、本国フランスではヒットしましたが、アメリカでは「The Game Is Over」(ゲームは終わった)として公開されましたが、反響は芳しくなかったようです。 ただ、若いジェーン・フォンダのアメリカ人ながらも、ヨーロッパ的な美しさがクロード・ルノワールの美しい映像に映えて素晴らしいです。 ラストのカタルシスに余韻を残す映画であると同時に、ヨーロッパ的な映画だなぁと感じる一本です。
スタッフ・キャスト
撮影を担当したのがフランスの撮影監督クロード・ルノワール。ルノワールの名字を聞いて連想するのが、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールですが、それもそのはずでクロード・ルノワールは、オーギュスト・ルノワールの孫に当たり、フランスの映画界の巨匠ジャン・ルノワールの甥(兄の息子)に当たるお方です。叔父であるジャン・ルノワール監督の「トニ」(1935年)、「ピクニック」(1936年)、「大いなる幻影」(1937年)、「獣人」(1938年)、「ゲームの規則」(1939年)、「河」(1951年)、「黄金の馬車」(1953年)、「フレンチ・カンカン」(1954年)、「恋多き女」(1956年)などの監督の作品で撮影を担当。その間も、レオニード・モギー監督の「格子なき牢獄」(1938年)、マルセル・カルネ監督の青春映画「危険な曲り角」(1956年)、ロジェ・ヴァディム監督の「血とバラ」(1961年)、ジャック・ドレー監督の「皆殺しのシンフォニー」(1963年)、アラン・カヴァリエ監督、アラン・ドロン主演の「さすらいの狼」(1964年)、ロジェ・ヴァディム監督の「獲物の分け前」(1966年)、同監督の「バーバレラ」(1967年)、「世にも怪奇な物語」(1969年)、ブライアン・フォーブス監督の「シャイヨの伯爵夫人」(1969年)、アナトール・リトヴァク監督の「殺意の週末」(1970年)、アンリ・ヴェルヌイユ監督のスパイ映画「エスピオナージ」(1973年)、ジョン・フランケンハイマー監督の「フレンチ・コネクション2」(1975年)、ロジェ・ヴァディム監督の「華麗な関係」(1976年)、ロジャー・ムーアのジェームズ・ボンド「007/私を愛したスパイ」(1977年)などの撮影を担当されていました。
マキシムの婚約者を演じたのはフランスの女優ティナ・オーモン。フランスの往年のスター俳優ジャン・ピエール・オーモンとドミニカ共和国出身の女優マリア・モンテスの娘で、1966年にジョセフ・ロージー監督のサスペンス・コメディ「唇からナイフ」で映画デビュー。1963年にクリスチャン・マルカンと結婚してから、ティナ・マルカン名義で映画に出演。イタリアのマカロニ・ウェスタン映画「裏切りの荒野」(1967年)ではカルメン役、ベルナルド・ベルトルッチ監督の「ベルトルッチの分身」(1968年)、マルロ・ボロニーニ監督の「わが青春のフロレンス」(1970年)では、近所の人妻役を、ラウラ・アントネッリを一躍有名にした「青い体験」(1973年)では友人の姉役、イタリアン・ジャッロ映画の「影なき淫獣」(1973年)では、殺されてしまう美大生役、フェデリコ・フェリーニ監督の豪華セットと衣装で撮影された「カサノバ」(1976年)でカサノバの恋人役を演じています。フランスご出身の女優さんでしたが、主にイタリアのセクシー映画で活躍されました。
まとめ
不倫に溺れて地獄行き
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