同調圧力に弱い典型的な
日本人です。
[原題]Judgment at Nuremberg
[製作年]1961[製作国]アメリカ
[日本公開]1962
[監督・製作]スタンリー・クレイマー
[原作・脚本]アビー・マン
[撮影]アーネスト・ラズロ
[音楽]アーネスト・ゴールド
[上映時間]186
主な登場人物
ダン・ヘイウッド(スペンサー・トレイシー):
ナチスドイツの戦後軍事裁判の為、アメリカから派遣された主任判事。
エルンスト・ヤニング(バート・ランカスター):
元法務大臣。ワイマール憲法の起草に加わったこともある高名な法学者。軍事裁判の被告人として、罪状認否に沈黙を貫く。
その他の登場人物
タッド・ローソン検事(リチャード・ウィドマーク):合衆国陸軍法務大佐。4人の被告人を糾弾する。
ベルトホルト夫人(マレーネ・ディートリッヒ):カール・ベルトホルト将軍の未亡人。
ハンス・ロルフ(マクシミリアン・シェル):ヤニングの担当弁護士
イレーネ・ホフマン・ウォルナー(ジュディ・ガーランド): 証人のアーリア人女性
ルドルフ・ピーターセン(モンゴメリー・クリフト):断種裁判の証人
バーケット議員(エド・ビンズ):ヘイウッドの友人
ハリソン・バイヤーズ(ウィリアム・シャトナー):書記官
マット・メリン将軍(アラン・バクスター):占領軍司令部
エミール・ハーン(ウェルナー・クレンペラー):被告人。無罪を主張。
フリードリヒ・ホフステッター(マーティン・ブラント):被告人の1人
ウェルナー・ランペ(トーベン・マイヤー):被告人の1人
あらすじ
1948年、ドイツのニュールンベルグで当時の判事4人が軍事裁判にかけられた。この裁判の判事を務めるためヘイウッドがアメリカから派遣されてきた。宿泊先の屋敷は随分立派で、元軍人の邸宅だったという。軍事政権下の中、4人がどれほどユダヤ人の大量虐殺に関わったかが争点となるが、4人のうち3人が無罪を主張し、高名な法学者でもあるヤニングのみ沈黙を守った。ヤニングを崇拝していた若い弁護士ロルフは、必ず無罪にすることを誓うが、ヤニングは沈黙を続ける。公判が始まり、争点はヤニングが関わった2つの事件にあった。1つ目はユダヤ人に対する不妊治療、2つ目はホフマン事件と呼ばれるものだった。ある男が証人として呼ばれた。彼は戦時中、不妊手術を無理やり受けさせられ、その手術の許可を出したのがヤニングだった。しかしロルフは精神疾患者に対する不妊処置であって、ユダヤ人だからではないと主張し、彼と彼の母親まで辱めた。判事のダンを宿泊先に訪ねてくる夫人がいた。彼女はベルトホルド夫人と言い、この邸宅の元の主だった。彼女の夫は将軍で終戦後、処刑されていた。夫人に音楽会に招待されたダンは、帰りがけ夫人と歩く。夫人は兵士がよく歌ったという、「リリー・マルレーン」を口ずさむ。ダンは夫人の問いに対し妻は死んだと答える。夫人の部屋に招待され、お茶を飲む。ベルトホルド夫人はヤニングとは旧知の仲であったと言い、彼も自分もヒットラー政権を嫌っていたと言う。検察側は次の証人としてイレーネという女性が説得の末呼び出された。彼女は16歳の時、ユダヤ人の老人との不適切な関係により、告発されていた。当時の法律で、アーリア人とユダヤ人との交渉は禁じられていた。この為、ユダヤ人の店主は処刑され、これをホフマン事件と呼び、ユダヤ人への虐殺を助長させるものとなった。証人にたったイレーネは、そんな事実はなかったと否定するが、執拗な追及に激しく動揺するのだった。
どんな映画?
アメリカ合衆国の脚本家アビー・マンによる、1959年放送されたテレビドラマの脚本をスタンリー・クレイマー監督が監督・製作を担当し映画化。スタンリー・クレイマーや、バート・ランカスター、リチャード・ウィドマークなどの大物俳優が主演した他、モンゴメリー・クリフト、マレーネ・ディートリッヒも出演されています。
第二次世界大戦後
連合国によって行われた
敗戦国ドイツの戦争犯罪を
審議する国際軍事裁判である
ニュルンベルク裁判
ナチの高官たちの大物裁判は終了し、
当時の判事たちの裁判ということもあり
皆気乗りがしない役
そこに派遣されたのが
アメリカの判事ダンでした。
まだ、廃墟が残るベルリンに
入国したダンはその足で
元ナチの将軍の豪邸に
連れて行かれます。
その屋敷は戦後処刑された
ベルトホルト将軍の邸宅でした。
裁判が始まり、
裁判長席に着席し同時通訳の
ヘッドホンを装着
被告人である4人の元判事が入廷。
4人のうち3人が
無罪を主張し、1人が黙秘。
その1人が元法務大臣である
著名な法学者である
ヤニングでした。
検事のアメリカ合衆国陸軍法務大佐
ローソンはナチの非人道的な
行為を激しく糾弾します。
それに対し
ヤニングを敬愛する弁護士ロルフは
高々に発言します。
ヤニングが有罪なら
ドイツ国民全てが有罪だ!
ヤニングの弁護人ロルフ役のマクシミリアン・シェルの熱演は圧巻です。
ヘッドホンを装着するシーンがあるのですが、ニュルンベルク裁判で初めて公式な場面で「同時通訳」が行われています。この同時通訳システムはIBMが開発しています。東京裁判でのヘッドホンも印象的なのですが、こちらは同時通訳ではなく、逐次通訳だったとのことです。
1945年から約一年間、ドイツで行われたニュルンベルグ裁判をもとに創作されたアビー・マンによるフィクション作品であり、映画より前にアメリカで1956年から1960年までに放送されたテレビアンソロジーシリーズドラマ「プレイハウス90」の中のエピソードとして製作されています。アビー・マンは、1965年の「愚か者の船」や、1968年の「刑事」の脚本でも知られており、この映画でアカデミー賞脚色賞を獲得しています。
ジュディ・ガーランドは7年ぶりに映画出演し、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされます。また、モンゴメリー・クリフトもアカデミー賞助演男優賞にノミネートされていますが、お二人とも獲得ならずでした。ヤニングの弁護人ロルフを演じたマクシミリアン・シェルが、アカデミー賞主演男優賞を獲得しました。
映画での裁判は、主に「断種政策」と「ホフマン事件」と呼ばれる事件を軸に審議が行われますが、ナチス政権下で行われた「断種政策」は、遺伝病子孫を減らすことを目的に他国に類を見ないほどの規模で実施されたことに対する断罪で、この証人としてモンゴメリー・クリフト演じるユダヤ人の青年が登場します。実際のニュルンベルク裁判では、訴追理由に優生政策は入っていなかったようです。
また、ジュディ・ガーランド演じるアーリア人の女性が、16歳の時にユダヤ人の老人と不適切な関係を持ち、その後老人が死刑に処せられた事件は、実際の「ガッツェンベルガー裁判」を元にされています。この裁判は、ユダヤ人実業家でユダヤ人社会に影響力のあったレーマン・ガッツェンベルガーが、若いアーリア人女性と不倫関係にあったとして罪に問われ、本人たちが否認していたのにも関わらず死刑が求刑され、執行されてしまった事件を元にしております。この裁判で判決を下した裁判官は、戦後のニュルンベルグ裁判において終身刑となったそうです。
この映画でマレーネ・ディートリッヒが演じるナチ高官の未亡人ベルトホルト夫人が、当時のドイツ人は連れて行かれたユダヤ人の人たちがどうなるか、ほとんど知らなかったと述べています。そもそもこの映画のテーマが
知らなかったら罪じゃない?
であり、そもそも知ろうとしなかった事自体が罪じゃないのか?ということでもあると思われます。
映画では、綺麗にまとめられていますが(アメリカ映画なんで)、ニュルンベルク裁判自体にも当然問題はあると思います。戦勝国が敗戦国を裁く権利があるのか?敗戦国に全ての罪を押し付けて、戦勝国には罪は無いのか??! 勝っても負けてもとにかく戦争はあかんのです。
ドイツでは、現代でも挙手ができず、授業でも手を挙げる時は人差し指を立てて挙手です。ヒトラーを彷彿させる行為はタブーで、二度と復活させてはいけないという教育が徹底されているそうです。
映画の尺は、実に3時間ありますので心してご覧下さい。
スタッフ・キャスト
ヤニングの熱血担当弁護士ハンスを演じたのは、オーストリア、ウィーン出身の俳優マクシミリアン・シェル。1955年にドイツで戦争映画映画「戦場の叫び」で映画デビューし、こちらの映画でクラウス・キンスキーと共演。同年にはヒトラー暗殺計画を映画化した「暗殺計画7:20」(1955年)に出演、その後ハリウッドでエドワード・ドミトリク監督、マーロン・ブランド主演の戦争映画「若き獅子たち」(1958年)にドイツ軍将校役で出演。アメリカのテレビアンソロジードラマシリーズの「プレイハウス90」の中の「ニュールンベルグ裁判」を題材にしたドラマエピソードで、若い弁護士を演じたマクシミリアン・シェルの演技が注目され、その後1961年公開の映画化版「ニュールンベルグ裁判」で、同じ役を演じアカデミー賞主演男優賞を獲得しています。1964年にジュールズ・ダッシン監督の「トプカピ」に、泥棒一味の1人として出演。その後も、J・リー・トンプソン監督のサスペンス映画「死刑台への招待」(1965年)、シドニー・ルメット監督のスパイ映画「恐怖との遭遇(死者にかかってきた電話)」(1967年)に出演。監督・製作・脚本を担当してツルゲーネフの「初恋」(1970年)を映画化しています。また、英語映画に出演するドイツ語を話す俳優として重宝され、ロナルド・ニーム監督、ジョン・ヴォイト主演の「オデッサ・ファイル」(1974年)に元強制収容所長を演じ、この映画では、実姉マリア・シェルと共演しています。サム・ペキンパー監督の異色戦争映画「戦争のはらわた」(1977年)のシュトランスキー大尉、リチャード・アッテンボロー監督の「遠すぎた橋」(1977年)のビットリッヒ中将、「鉄の十字架」(1977年)、フレッド・ジンネマン監督の「ジュリア」(1977年)のヨハンなど、ナチ将校やドイツ人役を演じています。
ドイツ人証人イレーネを演じたのは、往年の悲しきハリウッドスター、ジュディ・ガーランド。子役から活躍し、同じく子役スターだったミッキー・ルーニーとカップル共演で青春映画に出演し人気を博し、1939年に16歳で主演した「オズの魔法使」で歌った「虹の彼方に」は、現在でもスタンダード・ナンバーとして愛されています。この映画ではアカデミー賞子役賞を受賞。その後も抜群の歌唱力を活かしミュージカル映画を中心に出演。1944年のヴィンセント・ミネリ監督の「若草の頃」に主演し、この映画は大ヒットを記録し、翌年にはヴィンセント・ミネリと2度目の結婚。ライザ・ミネリを出産。この後撮影をブッチしたり、撮影中に錯乱状態になったりと素行が乱れ、主演の映画も降板させられます。この頃の映像が残されており、ジュディ・ガーランドが、カメラに向かって捲し立てる姿が映されています。ヴィンセント・ミネリと離婚後、俳優兼プロデューサーのシドニー・ラフトと再婚。1954年に「スタア誕生」で復活。アカデミー賞主演女優賞にノミネートされますが、獲得ならず。1961年に出演した「ニュールンベルグ裁判」では、歌唱力なしで完全女優として出演。その演技は絶賛され、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされています。その後は金銭的に問題を抱え、精神的にも肉体的にも不安定ながらコンサート巡業を続けています。この頃の様子が、2019年にレネー・ゼルウィガーが熱演した「ジュディ 虹の彼方に」で描かれています。晩年と言っても47歳の若さでお亡くなりになられたのですが、その遺影は老女のようで世間に衝撃を与えました。子役時代から、ダイエットと睡眠不足で働かさせる為に、スタジオから現代では非合法のおクスリを渡されていたと言われており、成人することにはすっかり依存症と、精神疾患に悩まされていたとのこと。性生活も私生活も乱れに乱れ、恐らくそういう生活しか知らなかった為に他には生きられない、スターの光と闇の部分を体現されていたお方でした。
まとめ
誰が誰を裁けるのかで地獄行き
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