地獄行き航路「地獄の黙示録」

ドラマ

某テーマパークのジャングルクルーズは
夜に乗ると雰囲気良くって◎です。

[原題]Apocalypse Now
[製作年]1979[製作国]アメリカ
[日本公開]1980
[監督・脚本・製作・音楽]フランシス・フォード・コッポラ
[脚本]ジョン・ミリアス/マイケル・ハー
[音楽]カーマイ・コッポラ
[原作]ジョゼフ・コンラッド
   「闇の奥」
[撮影]ヴィットリオ・ストラーロ
[編集]リチャード・マークス/リサ・フラックマン/ジェラルド・B・グリーンバーグ/ウォルター・マーチ
[音楽]カーマイン・コッポラ
[上映時間]153(劇場公開版)/202(特別完全版)/182(ファイナル・カット)

主な登場人物

ウォルター・E・カーツ大佐(マーロン・ブランド):
元特殊部隊の作戦将校だったが、任務中に離脱しカンボジアの奥地で現地人と軍隊を形成している。

ベンジャミン・L・ウィラード大尉(マーティン・シーン):
極秘任務を受けて、哨戒艇で三人の部下たちとカンボジアにいるというカーツ大佐の捜索に向かう。

その他の登場人物

ビル・キルゴア中佐(ロバート・デュバル):第一騎兵師団第9騎兵隊の第1戦隊の中佐
ジェイ・ヒックス(フレデリック・フォレスト):シェフ。元料理人。
タイロン・ミラー(ローレンス(ラリー)・フィシュバーン): クリーン。ブロンクス出身の若造。
ランス・B・ジョンソン(サム・ボトムズ):プロサーファー。
ジョージ・フィリップス(アルバート・ホール):チーフ。船の操縦士
報道写真家(デニス・ホッパー):カーツの側にいるヒッピー風カメラマン。
ルーカス大佐(ハリソン・フォード):コーマン将軍の部下
コーマン将軍(G・D・スプラドリン):ウィラードに極秘任務を命じる。
コルビー大尉(スコット・グレン):ウィラードの前に任務に当たっていた大尉。
ユベール・ド・マレ(クリスチャン・マルカン):フランス植民地の主人(完全特別版)
プレイメイトミス5月(コリーン・キャンプ):慰問に来る。
ロクサンヌ・サロー(オーロール・クレマン):フランス人未亡人。ウィラードと一夜を共にする(完全特別版)
ヘリのパイロット(R・リー・アーメイ)
CIAエージェント(ジェリー・ジーズマー):ウィラードにカーツの処遇を伝える。

あらすじ

妻と別れ再度サイゴンに戻ったウィラード大尉は、司令を待ちの為宿で酒浸りになり待機していた。部屋の中で全裸で暴れ回り、鏡を割ったりとぎりぎりの精神状態に陥っていた。そこに、ルームサービスのようにある極秘任務を任される為出頭命令が出た。ニャチャンの第1野戦軍本部に呼び出されたウィラード大尉は、この時行き先が地獄だったというこを知らなかった。コーマン将軍に引き合わされたウィラードは、ルーカス大佐よりかつてCIAで極秘任務を遂行した実績を買われ、将軍、CIAエージェントと共に食事をしながら1枚の写真を見せられる。写真の人物の名はウォルター・E・カーツ。特殊部隊の作戦将校だったカーツは、カンボジアに潜入し任務に当たっていたが、次第にカーツを神と崇める現地人たちと軍隊を形成するようになっているという。さらにカーツには複数のベトナム人スパイを処刑したとして罪状が出ているという。ウィラードに与えられた任務は、ヌン川を哨戒艇で上りカーツの情報を集めながら、カーツの軍隊に潜入しいかなる手段を使ってでもカーツの指揮を断つというものだった。すなわち、カーツ大佐の抹殺を意図していた。ウィラードは、機関士のシェフ、サーフィンの名手であるランス、ブロンクスの貧民街出身のクリーン、船の持ち主であるチーフと共に哨戒艇に乗り込んだ。遊び気分の若造ばかりだった。頭上にB52が見え、先の村ではヘリコプター搭載の空襲部隊第9騎兵隊の第1戦隊が奇襲をかけていた。この部隊はウィラードたちをヌン川まで護送してもらう手筈になっていた為、キルゴア中佐に掛け合うが聞いてないが考えておくと言って、死体の数を数え始める。キルゴアはウィラードよりも名の知られたサーファーだったランスの方に楽しげに挨拶した。強引だが不思議な魅力があるキルゴア中佐は、部下からも慕われているようだった。向かう先は波が立ちサーフィンにはいいが、ベトコンの拠点で危険な場所だと言うのだが。

どんな映画?

この映画は、フランシス・フォード・コッポラ監督が様々な困難に見舞われながらも1979年に完成させ、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを獲得し、アカデミー賞では撮影賞と音楽賞を受賞しています。ベトナム戦争の過酷さを、批判的に描いていることでも有名です。

ベトナム戦争末期
ウィラード大尉は司令を待って
ホテルで待機中
ただの飲んだくれになり部屋を暴れ回る。
そこにとうとう出頭命令
コーマン将軍とルーカス大佐、
もう一人CIAエージェントと面会

カーツ大佐を知っているか?

名前だけはと答えるウィラードに
特殊任務中に離脱し
カンボジアの奥地で原住民と
共に軍隊のようなものを形成
しているというのです。
んで ウィラードの任務は

カーツ大佐を見つけ出し始末すること!

ウィラードはチーフ、シェフ、 ランス、クリーンを連れ
哨戒艇で出発
若造ばかりで大丈夫かこいつら
一抹の不安が過ぎるウィラード
哨戒艇をヘリで運んでもらう為
キルゴア中佐の部隊と合流

中佐は大音量でワーグナーの
「ワルキューレの騎行」を流し
ヘリで攻撃 ババババーッ
ナパーム弾 どーん
よっしゃーいい波来てるでー
とサーフィンをやると
いきなり脱ぐキルゴア中佐
それを見て若干引き気味のウィラード

狂っとる

でも、何でキルゴアは許されて
カーツは許されない
一体何が違うんだろう?

先を進むに連れ
哨戒艇はどんどん地獄行脚の様相を
呈し消耗する乗組員
あれ?何しに来たんだっけ?
そうだ 
マーロン・ブランド探しに来たんだ?!

川から頭を出すウィラード

イギリスの小説家ジョゼフ・コンラッド の小説「闇の奥」を元に映画化されていますが、こちらは戦争とは関係なくコンゴが舞台になっています。また、ロシア映画監督のミハイル・カラトーゾフ監督の「送られなかった手紙」(1960年)や、ドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの1972年の映画「アギーレ/神の怒り」などにも影響を受けていると思われ、いずれも未開の地やジャングルの奥地に向かう人々が、次第に目的を失い狂気に満ち自滅していく各々の姿を描いています。

クレジットは実質主役のマーティン・シーンよりマーロン・ブランドの方が上なのですが、マーロン・ブランド登場は劇場公開版で役120分後です。撮影当時、元グリーンベレーとは思えないくらいぶくぶく太っていたマーロン・ブランド。 イメージちゃうやんけ!? とゆーわけで演出変更を余儀なくされた上に、マーティン・シーンの病気や、出演者の感染症、延びる撮影期間、膨らむ制作費などで映画制作は正に地獄行きだったそう。ここら辺の様子はコッポラ監督の妻エレノア・コッポラが発表した手記を元にドキュメンタリー映画「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」が製作され、1991年に公開されています。

G・D・スプラドリンが演じたコーマン大佐の名前は、ロジャー・コーマンから、ハリソン・ファオードが演じたルーカス大佐はジョージ・ルーカスから取られているとのこと。 また、CIAのエージェント役で登場するジェリー・ジーズマーは抹殺の婉曲表現として「極度の偏見を持って終了する」と述べていてます。ジェーズマーは助監督を務めています。

スタッフ・キャスト

ウォルター・E・カーツ大佐を演じたのは20世紀アメリアを代表する俳優の一人であるマーロン・ブランド。1950年にフレッド・ジンネマン監督の戦争ドラマ映画「男たち」で映画デビュー、しかも主演。この映画では若い負傷兵という難しい役所を真摯に演じています。その後ブロードウェイで、テネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」のスタンリーを演じ、1951年に同作の映画化で同じ役を演じ高い評価を受けます。翌年、エリア・カザン監督の「革命児サパタ」で、主演のエミリアーノ・サパタを演じアカデミー賞主演男優賞の候補となりました。その後もジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督の「ジュリアス・シーザー」(1953年)、ラズロ・ベネディク監督の「乱暴者」(1953年)に主演。1954年に主演したエリア・カザン監督の「波止場」ではアカデミー賞主演男優賞を獲得しています。同年にはヘンリー・コスター監督の歴史劇「デジレ」(1954年)では、ナポレオン・ボナパルトを演じ、1955年にジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督のミュージカル映画「野郎どもと女たち」で再びジーン・シモンズと共演。1956年にダニエル・マン監督の「八月十五夜の茶屋」で、京マチ子と共演。また、1957年にジョシュア・ローガン監督の「サヨナラ」で、この映画で日本人初のアカデミー賞助演女優賞を獲得したナンシー梅木と共演しています。1958年にエドワード・ドミトリク監督の戦争映画「若き獅子たち」、1960年にシドニー・ルメット監督の「蛇皮の服を着た男」に主演。1961年に唯一の監督作「片目のジャック」に主演。1962年にルイス・マイルストン監督の「戦艦バウンティ」、1963年の「侵略」、1964年に「寝室ものがたり」、1966年にアーサー・ペン監督の「逃亡地帯」、1967年にチャールズ・チャップリン監督の唯一のカラー作品「伯爵夫人」、同年ジョン・ヒューストン監督の変態映画「禁じられた情事の森」などの大作、名作、迷作、西部劇などに主演しています。1968年にはクリスチャン・マルカン監督の謎のH映画「キャンディ」に出演。同年にサスペンス映画「私は誘拐されたい」、1971年にイギリス映画「妖精たちの森」に主演。そんでもって1972年にフランシス・フォード・コッポラ監督のイタリアンマフィア映画の金字塔「ゴッドファーザー」で、主演のドン・コルレオーネを演じアカデミー賞主演男優賞を獲得していますが、受賞拒否。同年に出演したベルナルド・ベルトルッチ監督のイタリア映画「ラストタンゴ・イン・パリ」に出演したことで、ポルノか芸術か物議を醸し大変話題になりましたが、裁判にまで発展し同時期に私生活でも親権裁判で不利になってしまったと言われています。1978年にリチャード・ドナー監督の「スーパーマン」でわずかな出演で天文学的な出演料を受け取り、それは「地獄の黙示録」(1979年)でも同様でした。1989年にユーザン・バルシー監督のアパルトヘイトを題材にした「白く渇いた季節」、1990年にアンドリュー・バーグマン監督のコメディ映画「ドン・サバティーニ」、1992年にジョン・グレン監督の「コロンブス」、1995年に「ドンファン」などに出演。また、1996年にジョン・フランケンハイマー監督の「D.N.A./ドクター・モローの島」でドクター・モローを演じています。そして実質遺作となったのが2001年のフランク・オズ監督の「スコア」でした。

まとめ

行き先は地獄で地獄行き

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